2006/6月ー2

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6月12日(月)

風流 byFAP

キュッ、キュッ。

足で踏むと、床が鳴る。
そう、それはまるで鳥のさえずりように。

鶯張り(うぐいすばり)。
人が廊下を歩いた際「キュッキュッ」と鳴り、
敵が忍び込んできたことを知らせる、古い工法だ。

一種の警報装置のようなものだが、
その音には風流を感じさせるなにかがある。
ああ、風流なり、風流なり。

そして、それが ―――


なぜか私の部屋にある。


6畳間の部屋の入り口より2歩入ったあたり。
そこを踏むと「キュッキュッ」と床が鳴る。

6畳間の部屋では、敵の存在を教えてくれたところで
気付いたときには手遅れなわけで、
これはもう致命的な設計の欠陥とも言えるが、
そんなことを気にしてはいけない。
これは風流を狙っているのだ。

そもそもこの部屋にどんな敵が忍び込むのか?
という疑問は誰しも一度は抱くものであるが、
それは窓周辺が貧相な施錠装置であるのに対し、
玄関だけはやたら堅牢なのと同じようなレベルの
話であるので、多くを気にしてはいけない。
いけないのだ。

我が部屋の鶯張りが
伝統を重んじた職人が作り上げたものではなく、
フローリングの下に少し隙間があるために
勝手に鳴っているなんてことも気にしてはいけない。
意図など関係ない。関係ないのだ。

平たく言えばただの欠陥なのだが
なんとなく癪なので「鶯張り」という方向で押し通そう…
なんて考えていることも気にしてはいけない。
これは鶯張り。(意図してないが)鶯張りなのだ。

部屋の主そのものを警戒しているかのように鳴ることも、
私自身が「うるせぇー」とか思っているなんてことも
気にしてはいけない。
気にしたら負けだ。(私の)負けなのだ。

ああ、風流なり、風流なり。





6月13日(火)

「運動会」 byKTA

ふと思ったのだが、小学校の運動会の時
あなたの、両親は学校に見に来ただろうか?

俺が小学生の時の運動会は、親どころか
田舎に居るばあさんまでわざわざやってくる始末
前日や当日の早朝には前の方の席をとる為にわざわざ行き
家族総出で観戦して、応援してくれていた

しかし、これって、北海道の小学生だった時の記憶で
その後俺は千葉、秋田と転校したけど
そこでの運動会は、ほとんど生徒と教師だけのイベントで
観戦に来る父母の姿は記憶に無い

俺が小学校3年生の時、千葉県の小学校の運動会の時は
うちの父と母は北海道のノリで張り切って来たのだが
生徒の父母で来てたのは俺の家の両親以外は
他数名程度だった記憶がある

ちなみに運動会の時に家族総出で応援するのは
札幌市内ならほぼ全域で平然と行われていて
前日の席取りでトラブルが続出して
最近では父母席はくじ引き制に切り替えている所も多い
それ程に熱狂的に小学生の応援にくる北海道
でももしかしたら、そんなのは北海道だけなのだろうか?




追記、実は俺の記憶間違いで
秋田は結構盛り上がっていたとの事(母情報)
でも千葉はいまいちなのは間違いないそうだ(母談)
でもBBSなどでも聞く限り、一部が盛り上がらないだけで
ほとんどのところは、祖父母をよんだりして
楽しむんだそうだよ




6月15日(木)

「インパクチ」 byKTA

今日インパクトのあった客の発言

油でゴテゴテに汚れてる
レンジフード(換気扇)を掃除したのだが
仕上がりに驚いた客が発したこの一言

「え、何これ 換気扇?」

なんかイメージは伝わるんだけどさ
換気扇はどんなに掃除しようが換気扇です

つか換気扇掃除しまくったら
洗濯機とかになってたらそれはそれで面白い




6月16日(金)

「謎料理」 byKTA

昨日俺が二階でパソコンをいじっている時
一階の居間ではご飯のおかずが出来上がっていた

それをみてこれは何?と尋ねる従兄妹ユキ
それに答える母の声も含めて俺の部屋に筒抜けだったのだが

母はこう言っていた

「あーそれは、えんどう豆のワカメの卵和えだよ」

その場で突っ込むユキ
二階から突っ込む俺

えんどう豆のワカメってなんだよそれ
母いわく
「だってえんどう豆のワカメって書いてたもん」

よく見てみるとワカメではなく若芽だったんだが
母のイントネーションは間違いなくワカメだったよ




6月19日(月)

過ちは繰り返す byFAP

二日酔い(悪酔い)してました。

今回は今までの中でもかなり
体力的、精神的にキツかった気がする。
わりと本気で「このまま死ぬかもしれん…」と思ったほどだ。
それが18時間後には納豆巻を幸せそうに
ほおばっているのだから人間ってすごい。

毎回毎回、二日酔いするごとに
「もう飲みすぎねえ」と心に固く誓っているはずなのに、
どうして私はこうも同じ過ちを犯すのか。
なんとなく世の中から戦争がなくならない理由が
わかったような気さえしてくる。これは言いすぎか。

しかし、そんな中でもわかったことがある。
昔計算した25%の酒300mlというデッドラインは、
かなり信憑性のあるものだった。
体調や状況にもよるだろうが、安全圏は275mlまでで、
300mlは場合によってはアウトになりえる感じがする。

それにしても、二日酔いはどうしてこうも
デジタルスイッチ的な発症の仕方をするのだろうか。
一度アウト側に入り込むと、その後の量に関わらず
同じ地獄の苦しみを味わうというのが納得いかん。

もっとこう、
「あー、お客さん。305mlはちょっと多かったですね。
 ですので今回は1リバースでどうでしょう」
とか、
「いやあ、いくらなんでも350mlはいきすぎでしょう。
 6リバースは覚悟してもらわないと」
みたいなアナログな症状にはならんのか。
ならんだろうな。

それとももしかして、
301ml=1R(リバース)、303ml=3R、307ml=地獄、
みたいな激烈に細かいアナログさだったりするんだろうか。

なにはともあれ、飲みすぎなきゃ万事解決なわけで、
今後はもっと節度ある飲酒を楽しみたいと思います。
しばらくは「飲みたい」とも思わないだろうけど。




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