2005/7月ー1

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7月1日(金)

「愛・地球博」 byKTA

昨日から、俺の両親が愛・地球博を見に
大阪、名古屋に行っている
俺としては、特に見たいものも無かったので
ふーん行っておいでといった所だったのだが

今日、万博に来たよ、と言うメールが来たので
折角だから写真でも送ってくれと頼んだら
こんな写真が付いて、返事が来た

受信メール:母
件名:件名なし

<本文>


送信メール:母
件名:件名なし

<本文>
ピントずれてない?
レンズのところについてるチューリップと人のマークを切り替えるとピントあうよー


その後、母からの返事は無い

それから2,30分して今度は父からメールが届いた


受信メール:父
件名:リニアだぜ→←

<本文>






送信メール:父
件名:件名なし

<本文>
写真付いてないよ・・・





受信メール:父
件名:リニアだぜ→←

<本文>


どこのどの辺りがリニアなんだろうか・・・


なんか初めて、万博で何をしてるのかが気になったよ




7月2日(土)

障子の世界 byFAP

時折、『薄っぺらいなー』と思うことがある。

特定の何かに対するものではなく、
ただただ漠然とした思案である。
世の中すべて、と言った方が近いかもしれない。

そのように思うということは、自身の生き方や
人生そのものが薄っぺらい証拠でもあるわけだが、
それでも私は『人生』や『世の中』というものが
そう深いものではないと感じずにはいられない。

どうも私達は『人生』という『理由』に
盲目的に頼り過ぎる傾向がある。

『理由』というものは大抵の場合、
本能ではなく理性から創り出される。
その理性はどこから生まれるかと言えば、
人間社会や道徳、常識といった
私達自身が創った世界からである。

逆に言えば、私達の語る『理由』というものは、
私達だけの世界でしか通用しないものであり、
実に狭く、薄っぺらい枠内だけでの存在にすぎない。

同じように、『人生』という概念もまた
創られた世界だけでの存在であり、
私達が盲目に崇め奉っている存在というだけで
実のところはペラッペラの
スッカラカンなものでしかない。
また、個人にとって『人生』というものは
『すべて』であり、『世の中』そのものである。

そのようにして概念が幾重にも重なったものが
私達の感じている『世界』というものなわけで、
それは塵のように、吹けば散りゆくような
儚いもののように思える。


そんなことを『薄っぺらいなー』と一纏めにし、
ぼんやりと思案するわけである。





「PQ」 byKTA

テレビ番組でPQテストなるものを最近見た
これからは知能指数=IQではなくて
潜在能力指数=PQが重要になってくるとかそんな話

基本的に、PQをテストするクイズ番組なのだが
いままでの常識や思い込みにとらわれず
いかに、自由な発想ができるかと言うのが
この番組に出てくる問題の趣旨になっている

例えば、先日見た問題の一部を引用するなら

問題
同じ年、同じ月、同じ日に、同じ父親と同じ母親から生まれた
2人の子どもがいる。ところが、この2人は双子ではない。
それはなぜでしょう?

と言うような、一見そんなのあり得ないだろう
と思うようなことの裏を見つめる問題が多い

ちなみに上記の問題の答えは
双子ではなく三つ子以上だからというのが正解
※その他、少し問題を解いてみたい人はこちらから

この番組の、常識にとらわれずに考え
発想の転換が要求される感じの問題と言うの
俺は結構好きなのだが、ひとつ突っ込みたい所がある

それは、答えが一つだと決め付けている点
それこそ、既に回答は一つと言う常識に
縛られているのではないだろうか?

番組出演者の回答を見てると、それは面白い考えだ
そういう発想は出来なかったなと
思わず感心する不正解がたまにあったが
番組上、それらの回答は不適とされてしまう
そんなお堅い発想で、柔軟な思考を審査してよいのだろうか?

例えば、リンク先の問題2問目
ここに丸いチーズケーキがあります。
このケーキを8人に均等に分けたいのですが
ナイフを入れられるのは3回だけ。
さて、あなたならどうやって8等分にしますか?


番組的正解は上下に分けた物を4等分するということ

しかしだ、半分に切ったケーキを重ねて
もう半分にして、さらにその4つを重ねて切れば
8個になるが、これは正解ではないという

重ねたケーキを切る事を2回分とカウントされている
と考えてしまえば、模範解答する不正解であるし
ケーキは動かしてはいけないとは書いていない
どう考えても俺には不正解だとは思えなかった

しかも、問題の図を見ると明らかにホールケーキの側面は
斜めになっており、模範解答の8等分より
今上げたケーキを重ねて切る方が
より厳密な8等分に近づくと思うのだ

なぜ、常識に縛られない考え方を持たせよう
と言う趣旨なのに正解が一つしかないのか
柔軟な考えを育ませようと良いながら
硬いことを言うのだろうか
この番組の趣旨は、結局なんなのか
俺にはわからなかった


byFAP

それは的確かつ面白い指摘だ。
私にはKTAの言うことが正しいように思える。

結局の所、世俗にまみれた常識人が作った番組が、
常識に縛られないものになるわけがない、ということか。




7月3日(日)

「映画の中身と外見」 byKTA

先日FAPとKJとヨドバシカメラをぶらついていると
ハイビジョンだとか、DVDとかの話になった

ハイビジョンはFAPがしてくれた説明によると
従来の倍の走査線が入っているから
きめ細かい綺麗な映像が見れるということらしい

FAPは続けて言う、DVD画質も綺麗だけど
「ハイビジョンの方が綺麗なんだぜ」と
俺はDVDの画質で十分綺麗だなと思うし
これ以上綺麗になってもそんな細かな所見やしないし
「意味の無い綺麗さだよね」と、二人に同意を求めると

二人は首を横に振る、そして
「見ればやっぱ違うよ」とのこと

俺自身コレはハイビジョンの映像ですよ
これがDVDの画質ですよと比べたことが無いので
なんともいえないが
DVDの画質はもう見ていて十分だ
と思えるレベルにあると思う
(DVDと一口に言っても再生時間とかで画質は変わるのだろうけど)
それ以上画質を良くして見たいなとも思わない


そして音響、これも俺が気にならない音質と言うのが
また微妙な表現になるが
(参考までに言うとMP3でいうなら198kbps前後なら気にならない)
それ以上の音を俺は求めていない
良い音響設備でじっくり聞き比べてみると
違いがわかる時もあるが
言われてみると立体感があるかもしれないな、程度に
でも、映画を見ているときには、そんな細かい音の違いより
生活雑音の方が気になるだろうし、つきつめれば
人間なんて居るだけで雑音を発しているのだから
そんな細かい所まで突き詰める必要も無いと思うし
そんな窮屈な思いで映画を見たいとは思わない


もっとも、俺もどちらも同じ値段であれば
良い物を買うとは思うのだろうけど
今の時代はその高レベルすぎる微妙な違いに
大金がかかりすぎる
その「微妙な差」の価値は人それぞれで
個人差があるので俺がどうこう言う所ではないが
俺はどうもなぁと思う

そして、映画に関して言うのであれば
結局の所、映像や迫力を追求してみても
ストーリがクソならクソ映画だし
金をかけなくても本筋のストーリーが面白い映画は
金をかけようが、かけまいが面白いのだ

たしかに、格闘アクション主体の映画は好きだし、
音響に凝っている映画にも興味はあるけど、
やはりストーリーがダメでは
ただのデモンストレーションになってしまうし
そんな映画は映画と言えるだろうか?

この違いは衝撃映像系の番組と
ドラマを比較してるようなものだから
目的の違う別の物と言えなくも無いけど


それにしても映像関係でなくてもそうだが
最近は人間の限界にデジタルの限界が
追いついてきているような感じがする
そしてその人間の限界に追いついてきた
デジタルの目標はアナログというからまた面白い


追記
この日記にはFAPのレスがありましたが
二人の意見がかみ合わないままダラダラと
長いこんな無意味な文章になってしまって
収集が付かなくなったので削除しました




7月4日(月)

「燃費」 byKTA

最近の俺のバイクの楽しみ方の一つに
燃費を気にして走るというのがある
通学にも使っているので、週に1度は給油するのだが
その時に、考える
今回はどういう風に燃費を向上させようかと

今までに行ってきた改良点は
1、アイドリング時の回転数を下げる
2、なるべくアクセルを回しすぎないで
  そのエネルギーを使い切る
3、2のためにクラッチを多用して
  エンブレをあまり使わない惰性の走り
4、すり抜けまくり、前に出て定速で走る続ける
5、チェーン洗浄、油を挿す

とまぁこんな所だろうか
結果としては、少し無茶な運転をして
急加速を楽しんでいた時は18km/L
何も考えないで走ってる時が20弱km/Lだったのが
22km弱/Lまで燃費が向上した

ただひたすら速さを求めるのも面白いけど
こういう走り方も奥が深くて面白い物だ

関係ないけど
バイクのタンクって一杯になったなと思っても
少しずつなら、もう入らないなと思ったところから
1Lぐらいは入ってしまう
え、これどっかから、漏れてるんじゃないの?
と思うほど少しずつ入れるとどこまでも入るのだが
この無理やり入る1L、入れたほうが良いのか
それとも入れないほうが良いのか・・・




7月5日(火)

「免許更新」 byKTA

昨日免許の更新に行った
今から行けば即日交付に間に合うと思って
急いで試験場へと向かい
手続きを済ませた

そして俺は思い出したのだ
今日は免許写真も取るということを

失敗だ、今日は何もネタを仕込んできていない
免許の写真でボケるは基本中の基本なのに

困った俺は、おもむろに机においてあった
クリップに目をつけおもむろにメガネに取り付けた

前回の襟についている爪切りよりはるかに素朴だが
しないようりは良いだろう

その後、免許取得5年目にして早くも優良者講習だった俺は
30分の講習を終え、免許をゲットした

クリップ小さすぎ、しかも髪に混ざってるから
ただの白髪に見える・・・失敗だ




7月6日(水)

「帽子と礼儀」 byKTA

講習や授業を受ける時
帽子を取るのは一般的な礼儀だろう
今日の講義中に、講師が
「そこの学生さん、申し訳ないけど帽子取ってくれる?」
と言っていた、まぁ当たり前といえば当たり前のことだ
帽子をかぶって、人の話を聞くのは何事だ!
と言うようなところだろう
しかしだ、それってそんなに悪いことなのかな?

たしかに、話を聞かせてくださいと頼んでおいて
ヘッドホンで音楽を聴いているとかだと
「ふざけるな! お前聞く気あるのか!」
と言いたくなるところではあるが
帽子を外さなくても、聞こえ方に差はないと思うし
もしかしたら、頭に怪我をしているかもしれないし
頭を暖めないと頭痛がする人かもしれないじゃないか

俺自身、壇上で何かを話している時に
私語をして聞く気が無いやつにはムカつくと思うが
帽子を被って熱心に聴いてくれている人は
別に気に止まらないと思うのだ
それとも、やはり帽子を被るというのは失礼なことで
教えてやってる立場の人はムカつくのかい
そんな些細なことでも教えてやりたく無くなるのかい?

俺には帽子をしていることが悪いことだとは思わない
確かに、そういう場面で帽子を取るというのは
常識と言う名の礼儀であるから
そういう礼儀を教えるための忠告なら良いのだが
俺にはどうも
聞かせてもらってる立場でそれは無いだろう
と言う感じのニュアンスに受け取れた

聞いている人も聞かせてもらってるし
講義をする人も聞いてもらっていると思ってるほうが
そういうことにピリピリしなくて良いんじゃない?




靄 byFAP

『春眠暁を覚えず』と言うが、
7月なのに今日は何故か眠い。

なにか脳が腐りきってきた感がある。
ドロドロ、ダラダラとやる気のない私の様は、
まるで羽化に失敗した蛹のようだ。

追い討ちをかけるかの如く外は雨。
日の光は遮られ、薄暗い雲が空を覆う。
電気をつけて部屋を明るくしても
モヤのかかった頭が晴れることはない。

苦いコーヒーを啜っても、眠気は消えない。
ただ熟睡できなくなったというだけで
それはある意味生殺しとも言える。

所在なく白い壁に掛かったかき氷の暖簾を
ぼんやりと見やる。

何故こんな物を昔の私は壁に掛けたのか。
その時の気持ちを忘れてしまった今
それは永遠の謎であるが、
見ているだけで何となく笑えてくるので
これはこれで良しとしよう。

昔の自分の策略にまんまとハマった
ような気がしてなんとなく悔しいのだが、
笑えてきてしまうのだからしょうがない。

心は穏やかなれど頭は暗く、
薄い膜を隔てた外界を見やる。

まあ、こんな日もある。





7月7日(木)

「悩みまくり」 byKTA

今日の昼、何気に中古PC屋に行くと
MP3プレーヤーに目が留まった
RIO SU10-1G 9800円

たしかにこの製品、コストパフォーマンスが良いのは知っていた
しかし、しかしだUSBフラッシュメモリも1Gなら1万するぞ
中古とはいえ寿命が気になるHDDと違って
フラッシュメモリーのプレーヤーだし
これは、買いじゃないのか?

いやいや、まてまて、はやまるな
中古だから、結構こき使われたやつかもしれない
きっと、液晶に傷が入ってるとか、ボディーが削れてるとかか?
しかしな、ショーケースに並んでる実物は
超美品と言っても良いほど綺麗だ
俺はこの商品は新品ですと言われても信じるね

しかし、所詮は型落ち、最近俺が導入しようとしてた
VBR(可変ビットレート)のMP3には対応してないんだろう?

そうか、VBRに対応してるのか・・・
そしたらあれだ、電池の持ちが悪いんだ
そうだ、そうに決まっている

駆動時間単四一本で17時間か・・・・
極端に良いとは言わないけど、悪くは無いよな
それじゃあ、あれだ箱とか付属の物が一切ないんだ!

え、それもついてるの?

うーん うーん どうしようかな
別にMP3プレーヤーはあれば良いなぁぐらいだったけど
これ、USBコネクタ付いてるから持ち運べば
ただのフラッシュメモリとしても使えるんだよなぁ
フラッシュメモリのでかいのはそのうち欲しかったんだよなぁ

うーん、悩む
どうするか、どうするか1Gで9800円(税込み)だぜ
買い? 買いなのか?  買ったほうが良い?










買っちゃいました



中の保証書を見ると前のオーナーは
先月ヨドバシで買ったらしい、なぜ売ったのだろう

今イロイロ弄ってるけど、機能的にはおおむね満足
フォルダリピートとフォルダランダムが欲しかったかも
あと、付属のイヤホンは最悪でした




7月8日(金)

「ルールとは」 byKTA

俺は小学生の時、素直にルールを守ってきた
守らないといけないと思っていた
それは当たり前のようであるが、そうではない

と、言うのもただルールを守るのではなく
なぜそのルールを守らないといけないか
なぜ、そのようなルールが出来たのかを知らなければいけない

例えば、あり得ない事例を出すなら
「隣人を殴り飛ばそう」
何ていう新しいルールを唱えた人が居るとする
そんな馬鹿な話があるかと思われるだろうが
そんなおかしなルールも出来ないとは言いきれない

なぜなら、国会でこのような法律案がでて
衆議院、参議院で可決されれば
こんな馬鹿みたいなルールも法律として出来上がる
もちろん、世論が黙っちゃいないだろうが
その世論の過半数もおおむねこの法律案に賛成と言う場合
恐らくこんな馬鹿げた法律も作れるはずである

ルールは守らなければいけないが
ルールそのものがおかしな場合もある
だって、ルールは人が作るのだから

だから俺は考える、なぜそのようなルールがあるのか
誰が何のために作ったのかを
例えば上の事例のあり得ないルールも
「一日一回殴り飛ばされないと足から腐っていく」
なんていう、奇病が将来の日本で
全国民に蔓延したとしたらどうだ?

それには誰かに殴り飛ばされる必要があり
病院では追いつかない人が来る
殴り飛ばせば病気は止めることが出来るし
そんな事は誰にでも出来るのだが
隣人なんか足から腐っていっても俺は知らないよ
なんて言う人が大勢居たら
こんな馬鹿だと思っていた法律も正当に成り立つかもしれない

大事なのは何のためにそのルールがあるのかだ
だから俺はルールではなくまず自分自身を信じる
その背景を出来るだけ調べて、その結果
守ったほうが人のためになると思った場合は守るし
守らないほうが人のためになると思った時は守らない
もし間違っていた時は直ちに訂正するよ

自分勝手だと思われるかもしれないが
それが俺の生き方だし、これからもずっとそうだろう
その方が人のためになる、そう思った時は
ただ素直にそれを実行するだけ
それで罰せられるような事があったならおとなしく罰されよう




7月9日(土)

「罪と罰」 byKTA

罪を犯したから罰を与えると言うのは
どこにでもある話しだが

「罪を犯すと罰を与える」これが常識であればあるほど
罪と罰が等価になってはいないだろうか?

本来、罪を犯した人に反省して欲しいから
罰を与えるのだが、逆を言うと
「罰を受ける覚悟があるなら、罪を犯しても良い」
そんな風にとらえることも出来る

もっともこんな話をすると誰にとっての罪なのか
と言う話になるのだが

民主主義の国の基準なら
国民の過半数が死んだ方が良いと思えば
その存在がそれだけで罪になることもあるだろうし

戦争で人を100人殺せば自国にとっては英雄だが
相手国に取っては殺人犯でしかないし
平時で路上の老人を一人殺せば大罪だが
拳銃を持った通り魔の老人を警官が撃ち殺しても
(日本では問題ありそうだけど)概ねOKなのではないだろう

こんな感じで、世の中が言う罪なんてのは
時代や見方でいくらでも変わってしまう
人が決める罪なんてそんなものだ

だから自分自身が罪の意識を持つことが大切なんだと思う

でもそう考えると、自分自身が反省しているのなら
罰なんて与えなくても辛いだろうし
(もっとも自分の反省の証として罰を受けたいと言う人はいるだろうが)
逆に自分に誇りを持って罰せられた人は何をしても
反省なんてしないだろう

罪を犯したと言う意識を自覚させて反省させることが罰の目的なら
一般的な大人はそんなに幼稚な人間なのだろうか?
大半の大人は自覚して犯罪を犯しているから
こんな罰などただの拘束でしかないような気がする

それこそ、罰を受ければ罪を罪とも思わずおこなっている
問題なのは、罰を恐れる心ではなくて
罪を罪と感じられる感性なのではないだろうか




法律と罰 byFAP

罰というものは、もはや『行為のリスク』でしかない。
少なくとも私にはそう思える。

そしてそのリスクと、行為によって得られるメリットを
両天秤にかけ、リスクと同等に近しい、または
メリットの方が大きい場合に人は犯罪を犯しやすい。
※突発的・発作的な犯行は除く。

極端な話、『万引き犯は死刑』という法律があったなら、
全国の万引きは激減するだろう。
万引き行為によるメリットとリスクを比べた場合、
明かにリスクの方が大きいからだ。

自分の命をかけてまで、数百〜数千円の品物を
万引きする人間はいない。
逆に『ポイ捨て』など、リスクの少ない犯罪的行為は
人々の生活の中では日常茶飯事である。

結局のところ罪を犯すか犯さないかはKTAの言う通り
その人の『罪を罪と感じれる感性』、
すなわちモラルによるところが大きい。

また、刑罰施設である刑務所の
『犯罪者を矯正・更正させる』という目的は
性善説が基とされており、今や建前でしかない。
一説によると出所者の5年以内の再犯率は
50%とも80%とも言われている。

これはつまり、犯罪者にとって刑務所が
もはやただの『一時的な刑罰施設』でしかない
ということを意味しているように思える。

矯正できる人間もいるが、
矯正できない人間もいるのだ。


話は変わるが、こんな話の小説を読んだことがある。

アメリカのある所に、
父・母・息子・娘の4人家族がいた。
彼らは何不自由なく、極めて平和で、
幸せな日々を送っていた。

しかしある日、娘が暴行され、そして殺された。
犯人は性犯罪の前歴がある男だった。

男は逮捕され、裁判にかけられた。
家族は深く嘆き悲しみ、男の重罰を願った。
その男の母は、子の軽い刑を願った。

そして判決が下された。
無罪。
腕のいい弁護士によって彼は心神喪失と
陪審員達に判断され、無罪となった。

ニタニタと笑う男と、喜ぶその母。
その判決を聞いた時、少女の母親は
半ば無意識のようにバッグに入っていた銃を構え、
引き金を引いた。

男はその場で死亡し、男の母は嘆き悲しんだ。
そして今度は少女の母親が
裁判にかけられることとなった。


途中までだが、こんな話の小説だ。

『娘を暴力に奪われた母親の悲しみと、
 目前で息子を失った犯人の母の苦しみと、
 どちらが同情されるべきなのか?』
(『法廷の銃声』 R・スペイト著の裏表紙の解説を抜粋)

なかなか興味深いテーマの小説だった。
『結局の所、犯罪の行為そのものよりも、
 弁護士の腕が重要なのか』
と思えてしまい、釈然としない気持ちになったが。

死んだ被害者の人権は蔑ろにされ、
生きた犯罪者の人権が優先される。
そして弁護の仕方が違えば、刑罰も変わる。

世の中すべてが白と黒とに別けられるわけではない。
その中間の灰色が最も多いのだ。
だからこそケース・バイ・ケースが有効であるのだが、
それ故に釈然としないケースもまた存在する。

納得はいかないが、やはりある程度は
仕方のないことなのかもしれない。





7月10日(日)

「カタログ」 byKTA

決明子(ケツメイシ)と言うものを知ってるだろうか?
歌手のケツメイシの由来でもあるらしいが
俺自身は初めて知った固有名詞である

漢方で使われる薬草の決明子
これを枕に組み込みましたと言う商品を、最近母が買った
そのパンフレットをちらちら眺めていたのだが

この枕、冷却効果が高く、マッサージ効果もあり
安眠に誘うんだとか

このパンフレットの後半に
この枕がどれだけ良いかと言うのを
愛用者の声としていくつか掲載されていた
何気に目を通すと

『枕でイビキが消えました』

『もうこの枕を手放せません』

『決明子の枕は最高』

などと言う見出しや

『運命の出会い』

『枕で人生が変わりました』

などスゴい事が書いてあったが
その中身を見ると

学生時代から女性には縁遠い生活でしたが
この枕を使ってからは安眠が仕事の意欲にも繋がり
自分に自信が持てるようになりました
そのおかげで前から気になっていた女性に声をかけると
二つ返事でOK、今では彼女が奥さんです
彼女が言うには自信に溢れている僕が素敵に見えたそうです

とか

なかなか本命の彼が居なかった私にも
ようやく素敵な彼とめぐり会う事ができたのですが
イビキが原因で結婚を申し出てもOKしてくれなくなく
その話を友達にしたら、笑ってこの枕を渡してくれました
そして、この枕を使ったおかげでイビキも無くなり
念願だった30前の結婚ができました

とか、どうも枕の効果をむりやりこじつけてるのまであって
思わず噴出してしまった

でもこの枕、俺の母が言うにはなかなか良い枕なのだそうだ
でもいかに良い枕であっても
この枕を使うと結婚できるとか
彼女が出来るみたいに書いてしまうと
途端にうそ臭く感じるのはなぜだろう


byFAP

『枕のお陰で身長が伸びました!』とか
『学年順位が〜』とか、普通に書いてそうだな。
こういった体験談を信じる人達は
占いを本気で信じている人達が多いような気がする。

それにしても、カタログなどに書かれた
使用者の体験談ほど嘘臭いものはない。

少し話は変わるが、TVショッピングでの
使用者の体験談は、どんなものでも嘘臭い。

素人臭い人が素人臭く喋っていたら、嘘臭い。
素人臭い人が抑揚つけて喋っていたら、役者のようで嘘臭い。
玄人が喋っていたら、まず間違いなく嘘臭い。

というわけで、誰がなんと喋ろうと
TVショッピングの体験談はすべて嘘臭い
という結論に達するのだ。



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