2005/9月ー3

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9月21日(水)

「人と人、そしてその先へ」 byKTA

俺は昔、自分はダメな人間だと思っていた
と言うのも、近くに住んでいる同級生が
俺より、背も大きく、運動も出来て、頭も良かった
彼は東大を出た後、官僚になったと聞いたが
今はどうしているのか、もう中学の頃から話していない
もっとも、今はもう東京で暮らしているらしいから
滅多な事では会うことも無いのだが

同じ年の近所のクラスメート
そうするとやっぱり、比較もされたりするわけで
と言っても誰かが俺の事を悪く言うわけではなくて
他の人の良い所と言うのを話で聞いているだけなのだが
当時の俺は、スポーツ等記録に残る物で良い成績になった事が無く
それが、何かしらコンプレックスに感じていたのかもしれない

いや、何かで賞を取った事もあるにはあった
1年生の時マラソン大会で3位だったし
2年生の時はたしか8位
3年生の時は12位と順位は落としていった物の
周辺で住宅地が発展して行っていた俺の学校では
年に数十人の転校生が一学年に入ってきていたので
そこまで悪い成績ではないのだろうけど

それでも俺は満足してなかったと思う
例の幼馴染は常に俺より上へ行っていたからだ

彼はホントに多才な人で、努力もしていたのだろうが
絵を描けば入賞、サッカー部キャプテン
勉強の順位は学年1位
唯一俺が勝てたのは、彼と一緒に習い始めた
水泳ぐらいな物だろうか
コレはホントに嬉しい出来事だった

だから俺は今でも水泳には自信を持っている
ま、習っていたのは1年間だったし
その後はプールに通ったりはしていなかったので
今は人より少し泳げるといったところだと思うが

今思うと、俺の良い所と言うのは
記録に残るような物じゃなかっただけなのだろうが
それでも、その当時の俺は圧倒的に差をつけられたような
気分になっていたんだろう

もし彼が俺の家の近所に居なければ
今の俺は全然違う人間になっていたかもしれない
最近そんな事を考える

東大へ行って、官僚か
君は何を思ってその道を選び
そして何を考えて今を生きてるのか
今度機会があるなら
是非酒を酌み交わして話しこんでみたいものだ

たぶん君とは違う方向だったんだろうけど
俺にも良い所は沢山あったみたいだよ
今はそう思える、今だからそう思える

俺はこれから何をするべきなのだろうか
思い描く事が大きすぎて上手くは進めないけど

きっとこんな風に思えるのは君のおかげだ
ありがとう




永遠の二番手 byFAP

いつも一番にはなれない。
常にそこから一歩、二歩下がった場所に位置する。

大抵のことはある程度こなすが、
決して飛びぬけた力を持つことはない。
良く言えば「万能」、
悪く言えば「中途半端」。

それが、私だ。

「永遠の二番手」。
それは自嘲でもあり、理想でもある。

具体的な目標が常に存在し、適度なプレッシャーと
モチベーションが約束される場所。
華はないが、大きな不満もない。

あえて不満を言うならば、一番手の見る景色、
極上の満足感を味わえることが
ないということだろうか。

望んでこの位置にいるわけではないが、
ここはとても心地がいい。

卑屈な考えだろうか。それとも、分相応だろうか。
いろいろと思うところはあるが、
それでも私はここが気に入っているのだ。





9月22日(木)

「うーん」 byKTA

なんていうか
ニュアンスは解るのよニュアンスは

でもちょっと間違っちゃいないかい?







後悔はしていない byFAP

微熱が出た。


安静にする。


やることがない。

ヒマだ。


しょうがないので、ダーツを投げた。


熱が上がった。

そりゃそうか。





9月23日(金)

Who are you ? byFAP

『 最近どうよ? 』

12日ほど前に、見知らぬアドレスから
こんなメールが届いた。

本文、これだけ。
タイトル、なし。
アドレス、見覚えのないランダムなように見える
無意味な文字列と「@docomo.ne.jp」。

私の知人で、こんなメールを送ってくる
ドコモユーザーは、改蔵氏 I 氏くらいのものだ。

だが、二人ともアドレスには意味のある文字列を
使うタイプの人間なので、なんとなく違う気もする。
それにアドレスを変更したなら、
ちゃんと通知くらいはしてくれるだろう。
だが、この二人以外に思いつく人はいない。

どちらか、と言われると I 氏のような気がする。
今まで私が I 氏に対し、「最近どうよ?」という文面で
メールを送ったことが幾度かあったからだ。
それと I 氏なら、アドレス変更の通知を
うっかり忘れている可能性も否定できない。(←暴言)

あまりにもいい加減な内容なので、
出会い系などのスパムメールとは思えない。
もしこれがスパムメールだったら、
書いた奴はすごいと思う。

念のため、今携帯に登録されている I 氏のアドレスに
軽いメールを送ってみた。

数分後。
『次のあて先へのメッセージはエラーのため
送信できませんでした。』というメールが返ってきた。
I 氏の線が濃くなっていく。

『 … I 氏か?』

仕方なく、恐る恐るそんなメールを
冒頭の謎のアドレスに送ってみた。

返事は返ってこなかった。


――12日後。
本日、9月23日。

ふとしたキッカケで、エラーメールの返ってきた
I 氏のアドレスに再びメールを送ることにした。

数分後。
エラーメッセージは届かない。
どういうことだろう。
まさか、このアドレスはまだ生きているのか?

数時間後。
メールが届く。
I 氏からだった。

どうやら I 氏はアドレスを変えたわけでもなく、
以前のは普通のエラーだったらしい。



………冒頭のメールは、誰?





「題目」 byKTA

なかなかすばらしかったです



ちょっと小さすぎてなんのプログラムか
わかりずらいですね
ちょっと拡大してみます



byFAP

こ、これは…「松涛館流空手 奥義 "撥弦楽奏"」!?
この奥義を受けた者は、鼓膜に心地よい振動が伝わり、
わりと楽しく時間を過ごせるという、あの……。

幻と思っていた……まさか、実在するなんて……!!


※奥義云々は嘘です。




9月25日(日)

「世界一短い手紙」 byKTA

フランスのユーゴーとか言う作家が本を出したとき
その本の売れ行きが気になり出版社に
「?」一文字だけを書いて手紙を送ったところ
それを見た出版社の人からの返事は
「!」ただ一文字だったそうだ

たしかこれがギネスにも載っている
世界で最も短い手紙と言う話を
小学生の頃、ジャポニカ学習帳の
裏表紙で読んだのを覚えている

この「?」は
「売れ行きはどうだった?」
と言う意味で使われていて

そして返事の「!」は
「売れすぎてびっくりだよ」
と言う意味だったんだそうだ



話は変わるが
俺は今日、古本屋に行ってきた
そこには俺の欲しかった本が一冊置いてあったのだが
見つけた一冊を除いて、その本はいま
全巻まとめて友人の改蔵に貸しているのだ

俺と改蔵の間では
漫画をどちらが所有していると言う意識があまり無く
共同で見つけた方が本を買うのが常なので
間違って同じ本を買ってしまわないように
今日もその連絡をメールでしたのだが


送信メール:改蔵
件名:

<本文>
「げんしけん」の6巻買ったから


1分後


受信メール:改蔵
件名:

<本文>








今日、俺の中でギネスの記録が破られました






9月26日(月)

「センス」 byKTA

先日、妹とイトコと父とで
ご飯を食べに行った時の事だ

デザートにアイスをみんなでひとつずつ食べたのだが
いきなり、イトコがこんな事を言い出した

「アイスって何で冷たいんだろうね」

それを聞いて俺と妹が同時に

「そりゃ、アイスだからねぇ」と

それを聞いていた父からはイトコに
「みんな冷たいなぁ」と

俺は父からの間髪開けずにさらっと言ってのけた
このジョークにセンスを感じた
親父ギャグにするにはもったいないセンスを

と思い、いやぁ父さんから
そんなセンスあるジョークが飛び出すとは思わなかった
と言うと、父はきょとんとしている

実は今のは俺の聞き間違いで
父は、全然関係ないことを
独り言のように口走っただけだったのだ

で、俺が思った事をみんなに状況を説明すると

よし解った、もっとセンスの良いジョークを考えるから
と父

「今度みんなでまたここにクールか」



だめだ、父さん、それじゃ駄目だ・・・・




9月27日(火)

情報の世界 その1 byFAP

『 ニュースがなかったら、私にとって世界は
 もっと、とてつもなく小さいものになるのだろう 』

そんなことを、ふと考えた。

TV、新聞、ラジオ、各種メディアがなければ、
世界どころか、日本各地での出来事すら
確実に知ることができない。
唯一の手段である伝聞は、伝達が遅く、
伝わる情報も変化しやすいため、
たいしてアテにはならない。

その時、私たちにとっての「世界」とは、
自分が見聞きできる範囲での、
とても小さなものになるだろう。

世界のどこかで1億人が同時に死んだとしても、
知る術のない私たちにとってはどうしようもない。
何も知らず、安穏と日々を過ごしていくのみである。


知ることのできない「世界」は、
現実としては存在していても、
「存在していない」のと同義なのだ。

(つづく)





「身長」 byKTA

友「あれーKTAって身長どんくらいだったっけ?」

K「んーぎりぎり70ぐらいかなぁ」

友「いやいや100はあると思ってたのに、
 思ってるより小さいねぇ  あはは」

K「んなわけないだろ、あはは」と

友人とそんな会話をして笑いあったのが数週間前
こんな会話は良くあるジョークだが

俺はそれから考えていた
「170センチ」と言いたくて「70ぐらい」と俺は言ったが
この時「70センチ」とは言っていない
あくまで70ぐらい

そういやインチって2〜3センチの間ぐらいだったはずだよな
だとすると、もしかして
「いやいや俺はインチのつもりで言ったんだけどね」
などと言う、小粋な返しが出来るのではないだろうか?

計算してみた
70インチ=177.8センチ(1インチ=2.54センチ)
んー 惜しい、実に惜しい
じゃあ何センチの身長の人なら
この小粋な返しが使えるのだろうか

いろいろやろうと思って
まず65インチをセンチに直してみた
65インチ=165.1センチ
ばっちりだった・・・・


ここからは俺の勝手なお願いだが
身長が165センチの方、できれば一生に一度ぐらい
上で書いた問答になった時に、この事を覚えていたなら
是非実践していただきたい

「あはは、俺はインチのつもりで言ったんだけど?」と

どうかお願いします


byFAP

惜しいなあ。
私があと1cm高ければ、そのジョークが使えたのだけど。

でも1cm程度だったら「くらい」というアバウトさで
ギリギリでアリかもしれんな……。




9月29日(木)

情報の世界 その2 byFAP

(前回のつづき)

ニュースは、「世界」の情報を教えてくれる。

それを見て、私たちは「こんなことがあったのか」と
「世界」を知ったつもりなる。

それは、あくまで「知ったつもり」であって、
「知った」わけではない。

5分やそこらで、その「世界」の実情を
深く知ることはできない。
せいぜい、そのうわべの部分を
すくい取るがやっとだろう。

また、情報というものは言葉一つで中身が変わる。
事実と違うことを情報として伝えられても、
私たちにとってはそれが「事実」となる。

その時、その場にいて、その事情を深く知らない限り、
決して「知った」とは言えない。
当事者でない限り、「事実」を知ることは
不可能なのだ。

だから多くの人は「事実」を知ることができず、
「知ったつもり」のまま、日々を重ねていく。
そうやって積み重なったものが
「世界」として、自分の中で構築されていくのである。

「世界」を構築することで
「自分の立場」を明確にすることができる。
そうすることで自分を「世界の一部」と認識し、
漠然とした共感と、安心感を得るのである。


そうして私たちは今日も、うわべだけの情報を得て、
「世界」を「知ったつもり」になるのである。





9月30日(金)

「実は」 byKTA

この前の火曜日に母に混ざって
ママサンバトミントンのサークルに行って
俺もバトミントンをしてきたのだ

ルールはある程度知ってるし
まわりは50代の主婦ばかり
運動量で勝てるだろうと思いつつ舐めていたら
ぼろぼろにやられた
基本的にダブルスなのだが、俺は一度も勝てなかった
足引っ張りまくり

そういやもう10年近くうちの母もしている
おばさんだと思って舐めてたが、侮れないぜ

そして何よりびっくりしたのが
次の日の筋肉痛、母は次の日平気な顔をしてたが
俺はと言うとまともに歩けないほどの筋肉痛
しかもその筋肉痛は未だに続いている
昨日ようやく階段の上り下りが二足歩行で可能になった

次の火曜日にはリベンジを考えているのだが
はたしてどうなるか



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