2004/9月ー2

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9月8日(水)

「台風情報」 byKTA

めずらしく台風直撃の札幌
俺が経験した事のない風がふきあれ

そして停電

従兄弟が学校に行っていたのだが
台風のため休校、迎えに行くまでに見たのは
折れた木、飛ぶトタンやゴミ
停電で役に立たず止まっている信号機は
ひしゃげて斜めを向いていて
どこの交差点に向いているのかわからぬほど

前にバイトをしていた酒屋のシャッターが暴れていたので
手助けに行くと、停電の為に
レジ、自動ドア、有線放送、全てが駄目

停電は3時間ほど続いたが
今ようやく復旧した様子

台風恐るべし

以下は台風被害の写真を何枚か


自宅のアンテナがぽっきりと
まぁ飛んでいかなかっただけ良しとします



停電のため機能していない信号機



ここの信号だけなぜか機能はしていたが
風で角度が30度〜45度ほど向きが変わってます



前働いていた酒屋のシャッター
閉じていたのが、風邪でこじあけられて暴れてました




爪跡 byFAP

やけに薬品っぽい味のするデカビタCを飲みながら
「薬漬けの生活……」とか思っていると、
屋根のトタンが飛んだ

第18回 全国ワイワイ強風ランドの襲来である。
我が家では鉢がなぎ倒され、樹木が一本折れた。
何度も家が揺れ、窓ガラスには
どこから飛んできたのか葉っぱがくっついている。
トタンも元気に空を飛び、最高の賑わいを見せた。

「トタンが飛んだ」と言っても
屋根のトタンすべてが飛んだわけではない。
一部のトタンが飛んだだけなのだが、
それでも凄いと思うわけである。
北海道大学では有名なポプラ並木が
10本以上倒れたそうだ。

今まであまり強風ランドの直撃を受けていない
北海道にとって、今回のアトラクションは
あまりにも衝撃的であった。
札幌の最大瞬間風速は実に50.2メートル。
北海道庁前では乗用車が横転。
トタンと一緒に人間も空を飛べそうである。

「空を飛びたい」と願うメルヘンな少年少女にとって
今回は最高のチャンスだったのではないだろうか。

 



9月9日(木)

「台風一過」 byKTA

青天になった今日、登校中にみかけた
凄かった場所を写真に撮ってみた


地面ごと木がなぎ倒されていた



停電の原因か?


そんなこんなで、今日初めて
バイクに乗ってガス欠になりました

まさかあんなでかい交差点の真中で
動かなくなるとは、幸いスタンドが
目の前だったので
押して持って行き事なきをえましたが

押して歩くのって結構恥ずかしいね




9月10日(金)

名前 byFAP

アメリカの台風には、アルファベット順で
人の名前が付けられる。
しかし日本では「台風18号」となんともそっけない。

台風の名前に源氏名をつけたら
面白いと思うのだがどうだろうか。

『大型の台風ヤスエは現在、北海道稚内市の
 南西約120キロを時速35キロで進んでいます』

などとニュースで読み上げられたらと思うと
とてもワクワクする。

だが源氏名だけではすぐに飽きるだろう。
そこで通り名を追加してみることにした。

『狂犬カオリの中心気圧は965ヘクトパスカル。
 中心付近の最大風速は30メートルとなっています。
 沖縄の南西50キロに新たな台風、
 毒蠍ヨシエが発生し近づいており、引き続き…』

こんなニュースを聞いた日には悶死しそうである。
苦しくも幸せな死を迎えられそうだ。

台風の通過後、

『鉄仮面サキの通過により、全国で死亡者2名、
 重軽傷合わせて20人の被害が出ており…』

とか

『昨日の竜殺しユミ、凄かったな』

などという会話がなされた日を想像すると、
なにか未来に光が見えたような気さえする。


今更ではあるが、私の頭は少々オカシイ。

知ってる byKTA




「ヘルパー学校卒業」 byKTA

今日で学校へ行くのはお終い
あと4日実習が入るのだけれども
いままで一緒に勉強した人とは
今日でお別れでした

男性も俺のほかに2人いて(11人中)
それぞれいろいろあって資格を取りにきてたみたい
頑張って欲しいものです




9月11日(土)

「管理人の主張」 byKTA

俺とFAPは似ているようで
実は、あまり似ていない
このサイトを運営するに当たり
水面下で言い争いをする事など日常茶飯事だ

最近で言えば
掲示板の背景色変更の提案
日記の日付のサイズ
IDタグ(アンカー)の挿入位置

前にもめたのも含めると
日記のテーブルの幅
水平線の幅
タグ打ちしているのでソースの改行個所など

あげるときりが無いほど言い争う

ただ、二人とも自分の理想に妥協が無いだけで
言い争うのは悪い事ではない
それがこのサイトの良さなのだろう

だれもそんな細かな点には
気付いてくれないんだろうけど
そういう、ところが俺は好きだ




9月12日(日)

「パチもの?」 byKTA

今日ムヒを使おうと思ったら
ムニと言う名前のパチ物が薬箱に入ってた
で、これよくよく見てみると
作ってる会社が同じなんですよね



違う所といえば内容量ぐらいでしょうか
効能も同じ、違う所は
名前と、あと会社住所の最後の方が違う

ムヒの方は
富山県中新川群上市町横法音寺24
んで、ムニの方は
富山県中新川群上市町神田16番地

既に家にあったので値段はどうか知りませんが
ムヒの内容量が18gでムニが15g

どういう関係なんだろうか・・・・




「迷い」 byKTA

最近、それなりに自分が
人生の岐路と言う所に居るからか
いろいろ考え、そして悩む

人は言う、俺はまだ若い
まだまだいろいろな可能性がある、と

その可能性という奴が
最近はねたましい、目標が定まらない
フラフラする
大まかな方向は決まったが
具体的にじゃあ何をしたいのか?

少し先の未来を見ると
まだまだいろいろな自分が想像できる
確かに可能性はいろいろだ

でも、それじゃ駄目なんだ
俺は今、何がしたいのか
そして、これから何をしたいのか

今はただ日々の不安をこんな日記に書いて
少しでも整理できればなと
出来るわけも無いのに、指が動く




五里霧中 byFAP

私は将来に対し、夢がない。
やりたいと思うことも特にない。
まったくの無だ。

適当に考え、適当に動いてここまで来た。
きっとこれからもそう生きて行くのだろう。
それに苦痛を感じることもあるが、
今の所さほど深刻な苦痛ではない。

「生きる」ということに
そこまで特別な意味を求めてはいない。
なにかを成そうとか、このために生きているとか、
そういったものが存在していないのだ。

これは寂しい生き方だと思う。
生き甲斐のない人生ほど無意味なものはない。

だが、こんな私にも「幸せ」は存在する。
本当にささやかなる「幸せ」であるが、
それだけで心が平穏になる時がある。
無論、平穏にならない時も存在するが、
それは時間が解決する些細な問題だ。

「幸せ」が好きだから、私は生きている。
それ以外に特に理由はない。
今はそれでいい。

特に問題はない。
そのうちきっと、何かが見つかるだろう。




9月13日(月)

完全なる社会 byFAP

『多くの人は自己に関連しない物事に対して
 無関心である』
(自分、及び近親に危害が及ばない範囲ならば、
 誰が何をしようと問題はないし、関わろうとしない。)



今日も世界のどこかで争いが起きている。
重症を負ったり、死亡したり、難民が増えたりと、
多くの人々がその犠牲となっている。

しかしその場、その状況にいない私にとって
それはあくまで遥か彼方の出来事にすぎない。
心を痛めもしないし、彼らのために募金をする
つもりもない。
毎日そんなことを考えて(して)いては
身が持たないからだ。


『多くの人は自己に関連する物事に対して
 無責任な批判をする』
(主張が他人に危害・迷惑を与えると内容だとしても、
 自分が無事ならば問題はない。)



私は日本の電気事情を考えるに、
原子力発電所は日本に必要であると考える。
しかしそれが地元に建設されるとなった場合、
私はきっとそれに反対するだろう。

その結果、別の地域に建設を
移転するとなれば心から安心する。
移転される地の人々のことなど考えない。
そんなことを考えていては、
自分の身を守れないからだ。


以上は私個人の持論と思考である。
これらは己の身、又は近親を第一にするという
生物として極めて自然な思考・行動であると
私は考える。

だが私達が理想とする「正しい社会」は
それを善しとしない。
一般的にこの思考は『不道徳』、『非人道』、
『自己中心的』と非難されるであろう。

しかし周りを見回してみれば、
その思考であると思われる行為が
そこかしこに溢れているのが現実だ。

非難しつつも、肯定するかのようなその行為。
その行為は生物としての『本能』であり、
非難する思考は人間としての『理性』である。

私達は常に矛盾した思考を持ち、
その思考を元に社会を形作っている。
故にその社会が歪んでいると感じるのは
当然と言えよう。


「正しい社会」という理想を実現するのなら、
『本能』を捨てるか、『理性』を捨てるかしかない。
そしてそれを実行した時点で
私達は生物、または人間ではなくなるのである。

しかし私達にはそれを実行する覚悟はない。
そうして私達は歪んだ社会の中で
永遠に「正しい社会」を求め続けるのである。





「偽善な自己中」 byKTA

俺の考える完全なる社会は
FAPが考えるそれより、単純で明快だ

一言で言うと
「俺にとって理想の社会になればいい」

ここまで自己中心的な事を思うやつは
なかなか居ないのではないだろうか?

俺は自分よりもほんのすこしだけ
他人を先に考えたい人間だ
俺の理想は自分のことを第一に考えず
ほんのすこしだけ誰かの為に
考え、行動する姿にある

もちろん他人を思うが為に
自分を大切にすることも忘れない

この理想を現実に近づけ、また
他人にも共感してもらえればなと
つねづね思っている

そんな野望を捨てきれない俺は
やはり自己中心的なのだろう




9月14日(火)

「ヘルパー実習」byKTA

昨日、今日とヘルパーの実習で
爺さん、婆さんの介護をしに行ってます

とは言っても、実習生は
数日しか居ないので、ほとんど
「場の雰囲気を実感して帰ってくる」
程度しか、出来ないのですがね
(危ないのでさせてもいらえない)

食事の介助、シーツ交換、掃除やら
オムツの交換と入浴介助まで体験はしてきました

俺はあまりこう言う事に
嫌悪感を持たないほうだけど
それでも、他人の身体を拭いたり
下の世話をするのは大変なわけで

施設では、そういうことが
当たり前に行われていて
でもそれをしなければ
何も出来ない利用者は死んでしまう

いや、これ大げさではなく
便が出ていない人が居れば
無理にでも出させないと、病気に繋がるし
オムツも変えずにつけたままでもまた然り

これは自分のことが自分だけで出来なくなっても
死なないような世界を作るのであれば
誰かが確実にしなければいけないことで
そしてそれは、出来れば誰もしたくない事です

そんな事を仕事にしている人は
心から尊敬出来ると思います

短い間でしたが、非常に勉強になりました

明日はまた別の実習です




9月15日(水)

一番面白くないダジャレ byFAP

今日放送の「トリビアの泉」でやっていた、
『(覚えていないので省略)一番面白くないダジャレ』で
不覚にも笑ってしまった。
私は一体なんなのだろうか。
「お前は普通じゃない」と烙印を押された気分である。

『このセメント、セメント』という有り得ない不条理さが、
逆に私の笑いのツボを刺激してしまったのだ。
加えて教授のあの真面目な顔と声がいけなかった。

あの雰囲気の中で駄目なダジャレを
あそこまで真面目にやられると、逆に面白くて
笑ってしまうと思うのだがどうだろうか。

会議等で真剣に議論している時に
『このセメント、セメント』と言ったならば、
確かにこのダジャレは究極に面白くない。
むしろ私は「ふざけるな」と怒るだろう。

だがそのダジャレが面白くないのは、
内容が面白くないからではない。
その場に相応しくないから面白くないのだ。

『一番面白くないダジャレ』というものは存在しない。
それは価値観や感性は人それぞれで異なるからだ。
加えて『成立した3つのダジャレの後に』という条件や
ダジャレの内容はそこまで重要ではないと私は考える。

面白くないダジャレを真に完成させるためには、
『場の雰囲気』と『言うタイミング』が最重要なのだ。
私はそう思う。
このセメント、セメント。


よし、面白くない。これだ。




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