記憶と体

byKTA
この前、何気に思った

脳が無ければ、人間は何も出来ない
思いだす事も、体を動かす事も、聞くことも
感じる事も、愛する事さえも
脳の機能を保存でき、また、書き込めることが出来たなら
人間は保存しておきたいと考えるだろうか?

脳のデータを保存しておく事が出来たなら
嫌な記憶は簡単に忘れる事が出来て
忘れてしまった事もすぐに思い出す事ができるだろう

そもそも、脳の記憶を保存して置けて
なおかつ、見たり感じた事を随時保存しておけれるのなら
本物の、いつ詰まるかもわからない脳を乗せておくより
バックアップをとった、チップのようなものを乗ておいたほうが
よほど、延命になるかもしれない
痴呆で、記憶が欠落していく恐れも無い

何か障害があればさらに、そのバックアップを取っておけば
いつでも正常な自分に戻れるじゃないか

たいがいの身体的麻痺は脳の障害だから
こうすれば、そんな障害すら起こりえない

たしかに自分の体を使ってはいるが
それは果たして本当に自分なのだろうか?

そもそもそれは人間なのか?

脳の機能を保存でき、また、書き込めることが出来たなら
人間は保存しておきたいと考えるだろうか?





脳の培養が出きて
移植による、拒絶反応も完璧に抑えれるようになれば
新しい肉体に移植したりする事もできるだろう

そもそも、体なんて面倒なものが無くても
脳だけあれば、擬似的体験なら、何でも自分の望むがままだ
電気刺激お与えてやれば、快楽だって感動だって
悲しみさえも、何でも感じる事ができる

衰えていく本来の体なんて要らないのかもしれない
それでも、満足できないのなら、もっと便利で
力強い機械の体もいいかもしれない
自由に動かす事のできる機械の体と
自分自身で考える、本物の脳
それはやはり、自分自身には他ならないのだろうが

それも、果たして人間と呼べるものなのだろうか?





上で書いた、記憶だけの脳を
下で書いた機械の体に取り付ける事ができれば
何不自由なく生活できる

でもそれは、あたかも自分自身のような機械でしかない

 

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