2008/3月ー3

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3月23日(日)

「人間」 byKTA

人間は、何処までが人間なのか

先日、アルツハイマーや脳の疾患がある夫婦の
テレビ番組を見た、連れ合いの事は覚えているが
電子ジャーのふたの閉め方がいきなりわからなくなったり
靴を右と左で違う種類を履いたり
正直一緒に生活をするなら、負担に感じるレベル

他にもいきなり暴力的になったり
正確が激変してしまう脳疾患の事もやっていたが


いったい、彼らは人なのだろうか?

一緒に生活する事が困難になり
その困難になっている自分に気づいてすらいない
番組なのかでも、施設に預けようか等の葛藤も
収録されていたが

家族として大切な人を施設に預けたりするのは心苦しい
しかし、一人で彼らを支える事は物理的に困難である
もっと疾患が進めば、自分が自分である事
自分で何をしてるのか、していきたいのか
それすらも解らなくなってくるのだろう

自己を無くし、自制が効かない人は
人なのだろうか、そんなことを考えた


愛する人、大切な人がそうなった時
変わらず愛し続けていけるのか
きっとそれは厳しいだろう

毎日が負担になり、苛立ちになる行為や行動を看て
ストレスになればきっと大切に思い続ける事は困難だ
最期に責任と、情で面倒を見てあげている
そんな心情になってしまうかもしれない


でもだからこそ、周りに手をかり余裕を作って
最期まで愛していきたい物だ

これは俺の個人的な意見だけど
記憶障害や異常行動をとる人に出来る事は
いままで通りの生活を無理強いするのではなく
介護者側に余裕を作り
死ぬまで愛し続けてあげる事なのではないだろうか?

彼らは人ではない
だから人としてのコミュニュケーションの中に
愛しさを求めても辛くなる
だから人ではない彼らを愛して行きたい
死ぬまで彼らを人間として愛して行きたい。



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