2005/8月ー3

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8月22日(月)

「言葉の伝わり」 byKTA

先日ウチのBBSで話してたのだが
FAPの書く言葉は根拠があるので断定的になりがちだ
別にそれについて俺がとやかく言う気は無い
文章的にはFAPの方がカッコよくまとまってるしね
それを踏まえて、今日は俺の「言葉」についての
考え方というのをひとつ紹介したい

前にも言った事があるかも知れないが
言葉というのは相手に伝わってこその言葉だと俺は思っている

古文書に出てくるような難しい言葉を使っても
専門用語を羅列して喋られても
専門家以外には意味不明

そういう喋り方が仮に社会人としての正しい言葉遣いだ
と言われても、言葉の意味が伝わりづらいのなら
俗語の方がよっぽど良いと俺は思う

さらに言うなら、言葉はコミュニケーションの手段である
だから誰かに伝わった時の相手の気持ちも踏まえないと
良いコミュニケーションとは言えないと思うのだ

いくら言っている事が正論でも
暴言になってしまえば相手には受け入れがたいし
頭では理解しても煮え切らない思いをする事だろう

俺はよく「だろう」とか「思う」とか曖昧な言い方をするが
そうすることが相手に真意を伝えやすいと考えるからだ

冒頭に戻るが
FAPは正当な根拠があるから断定的に書いたと
BBSで書いていた
しかし俺は自分の中の正当性が
相手にとっての正当性になるかと言われれば疑問が残る
(もちろんそうではない場合もあるが)

言葉での断定というのは
それ以外の意見の否定に他ならないのではないだろうか
断定する事で相手(の意見)を否定してしまっては
コミュニケーションとは言えない

恐らく「何故?」と思った人はこう言うだろう
「他の根拠があって他の理由があるなら
  それを断定的に言えばいいだろ」と

もっともだ、それこそ正論だが
そうするコミュニケーションに意味があるのかい?
俺には無駄な敵を作っているようにしか見えない
同じ意見が出て同じ結論になるのなら
穏やかに話し合ったほうが良いに決まっている

最後になるが言葉を伝えたり、伝えてもらったりした時
一番重要なのは、自分の意見に固執せず
相手の意見を聞き入れる事だと思う
俺もFAPもわりかしそういう姿勢の人間なので
時に感情的になったりしても喧嘩にはならない

言い争いはあるが喧嘩にはならないのだ
そして、人によっては断定した言い方や
すこし暴言になっていただけで相手を否定する人が居る

そういう人に対して何かを伝える時に
やんわり真意を伝えるというのが
コミュニケーションとして優秀なように俺は思うのだ




断定の発言 byFAP

私は、しばしば「〜だ」、「〜である」と、
断定した言い方で話すことがある。

断定した言い方はニュアンスが非常に強いため、
「それ以外の意見の否定ではないか、と感じられる」
という意見がある。
それは私も理解できる。

だが、もちろん「他の意見を否定する」という
意味を含めて、私は断定した言い方を
使用しているわけではない。


私は、断定した言い方に対し、発言する内容への
「自信」と「責任」、及び「自分の立場の表明」
という意味を込めていることが多い。

それは、
「私はこれを、こう考え、
 こういう理由で、こう主張する」
という明確な意見の表明であり、また
「あなたはこれを、どう考え、
 どういう理由で、そう主張したのですか」
という相手の意見の説明を求める姿勢でもある。

自分の発言に「自信」があると言っても、
それが完全に正しいとは、もちろん思っていない。
自分自身が考え至らなかった事柄もあるだろう。

そういった自分とは違う意見を取り入れることにより、
自分の見えてこなかった世界や、より正しいと
思える意見が自分の中で定まってくると、
私は考えている。

そのため私は、なぜ相手が、
私とは違う意見を「正当だ」と考えたのか。
その理由を明確に知りたいと思うのだ。


断定した言い方は、たしかに無愛想・ぶっきらぼうで、
決め付けた印象が強く、快く思わない人もいるだろう。
だが、それでも自分の明確な立場と理由を表明し、
発言に責任を負うため、私はしばしば
断定の言い方を使用する。

もちろん、「自信」のない発言の場合は、
「〜だろう」や「〜と思う」といった曖昧な言い方をする。
根拠なく自信満々な発言をするつもりはない。


断定の言い方は、特に議論において効果を発揮する。
議論においては、「感情」は邪魔なものでしかなく、
「〜だろう」や「〜と思う」という主観的で無根拠な、
曖昧な発言は控えるべきものだからだ。
議論では、相手の真意や感情は重要ではなく、
明確な根拠から導き出される「結論」が重要なのだ。

だが、ことコミュニケーションにおいては、
逆効果になることが充分にありえる。
コミュニケーションは相手との交流が目的だ。
そこでは「感情」が重要な要素となり、
逆に「明確な根拠」と「結論」は重要ではなくなる。


先日、BBSにてKTAの書き込みの一部に対し、私は
「その部分は蛇足だ」といった趣旨の書き込みをした。
その後、蛇足でないかそうでないか、という話を展開させ、
BBSをピリピリとした雰囲気にさせてしまった。

BBSはコミュニケーションが主体だ。
今回の件は、そういった場をわきまえず、
明確な「結論」を出そうと議論をふっかけた
私に責任と原因がある。


断定の言い方で議論を展開しようとするときは、
「議論」にふさわしいと思われる場で、
相手も「議論をしよう」という姿勢がある状況が望ましい。

断定した言い方をするべきか、しないべきか。
それは、議論するべき場か、するべきでない場か
ということだと、私は思う。



byKTA

感情も意思も文章では別になるのかもしれないが
実際は二つでひとつ、意思だけを誰かに伝えても
その前後や背景で気持ちもきちんと伝わるはず

議論においての感情も無駄だと言うが
それはどうかなと俺は思う
明確な根拠があれば曖昧な言い方をする必要が無いだけで
曖昧に言っても明確である事に変わりは無い
明確かどうかを相手にわからせることが断定の代わりにもなる
また、相手がそう思わないなら断定する事すら無意味だ

議論とは、相手をおとしめて、否定して、無い事にするのではなく
互いの意見を出し合い、高めあい、認め合う事だと俺は思ってる
だから、議論にも断定する必要が無いと俺は思う
出た結論に対しては断定が出来る場合もあるだろうけど

文章を書く人が居て、見る人が居る
言葉を話す人が居て、聞く人が居る
それの繰り返しがコミュニケーションと言うもの
自分の前に人は居なくてもそれがコミュニケーションになりうる
だから見てくれる、聞いてくれる誰かに対して
どう思うか、そして何を伝えたいのかを考えて行きたい

そして、そのコミュニケーションの中で
相手を否定してばかりではなく
認めていける人に俺はなりたい




8月24日(水)

「V903SH」 byKTA

ボーダの最新携帯について少し
320万画素光学2倍ズーム搭載
携帯屋のイトコが2台目の携帯にこの携帯を持ったと聞き
早速いろいろ弄らせてもらった

結論から言うなら902SHから変えようと思ってる人ならば
全てが良くなっているので変えても不満は無いだろうが
カメラの機能に関して言えば全体的に向上しているが
操作面では602SH、603SHから変えようと思っているのであれば
いささか機能面に不満が残ると言う位置づけになっている

見やすくとっつきやすくはあるが
その為に便利な機能が無くなってしまっていたり
めんどくさくなってたりするようだ

メールの速読が無く、その返事を先にする事ができないし
送信予約をしておいて、まとめて後で送信もできない
ファイルのチェック機能はあるにはあるが
(いくつか選択して、同時に移動や消去が出来る機能)
メニューの階層の奥にあるので手軽に使えなくなった
他にもショートカットが長押しで行けなくなってたり
十字キーの右で進む左で戻るが無く決定ボタンと戻るorクリアで
ファイルの階層を進んでいく仕様になったのがめんどくさいかも

音は3Dサウンドとかで綺麗になってるけど少し小さくなった
アラームは一回だけアラームが可能に
メールがSDに移せないのでバックアップ不可
miniSDに変更されたのでSDカードを使いまわせない
3Gだけあって、メールとWEBの速度はスゲー良い
などなど

一言でまとめると、まだまだ煮詰めていける過渡期携帯とでも言おうか
カメラに重点を置いていない人と602シリーズ以降の携帯を使ってる人は
904に期待とそういったところだろうか
でも俺はきっと変えるけどね




8月25日(木)

「日本一周か」 byKTA

数ヶ月前に路上で歌ってるのを聞いて
何気にファンになったアーティスト
Gasoline Stand
彼らは男2人のユニットなのだが
明日から日本一周ヒッチハイクの旅をするらしい
この先どうなるのか見当も付かないが
無事に旅が終わるように影ながら応援していきたい

日本一周と言えば俺もした事があるが
そういえばその時の書き物があまりにも長くて
気が向いた時に少しずつ書いているが
今現在全体の8割程度しか書きあがっていない
日本一周し終わってからもう3年か?
たぶん来年の今頃には後悔してると
いやいや、公開してると思いたい

なんかこう
昔自分したことを他の人がしていると
ついつい応援したくなる
バイクの旅よりヒッチハイクの方が
はるかに辛いんだろうけど
頑張れ「Gasoline Stand」

影ながら応援しているよ




8月26日(金)

どうでもいい話 2 byFAP


『卵が先か、鶏が先か』


こんな有名なパラドックスの命題がある。
この命題を、現実的に少し考えてみる。

この命題を考えるにあたって、

 ・ 『鶏』と『卵』の定義。
 ・ 鶏の前段階の生物は
   卵を産む生物だったかどうか。

という2点が特に重要になる。


『鶏』の前段階の生物を仮に『鶏β』と呼ぶとして、
もし『鶏β』が卵を産む生物であったなら、
『鶏』と呼ばれる前に『卵』が存在しているということで、
『卵が先』と言えるだろう。

逆に、『鶏β』が卵を産まない存在であったなら、
「『鶏』に変化してから卵を産むようになった」ということで、
『鶏が先』だと言えるはずだ。

また、もう一つ重要なのが、『鶏』であるための条件である。

仮に、「卵を産む」という行為が
『鶏』であるための一つの条件だったとした場合、
『鶏β』が卵を産む存在だったならば、
上記と同じく『卵が先』だと言えるだろう。

しかし、『鶏β』が卵を産む存在ではなく、
また、”「卵を産む」以外の『鶏』であるための条件”を
『鶏β』が持っていたなら、卵を産むと同時に
『鶏β』は『鶏』へと変化したことになる。
つまり、この場合は『卵と鶏は、同時に生まれた』
と言えるようになるわけだ。

同じように、『卵』であるための条件も考えなければならない。

しかし、以下はもう面倒なので省略する。


えー、結論。

■たまごの郷 たまごのお話 Page3

> 今から約1億5千万年ほど前、爬虫類の一種が産んだタマゴから
> 鳥類の先祖が現れたということが、 ドイツで発見された
> 始祖鳥の化石の調査からわかりました。
> ニワトリは鳥類です。
> そうなると「タマゴの方が先」ということになるのでしょうね!?

ということだそうで、『卵が先か、鶏が先か』という命題は、
『卵が先』を結論としたい。

※なお、『鶏の卵が先か、鶏が先か』という命題の場合、
 『鶏の卵』という言葉の意味を
 『鶏が産んだ卵』とするか、『鶏が生まれた卵』とするかで、
 それぞれ『鶏が先』、『卵が先』と結論が変わる。





「受験前」 byKTA

公務員の試験まで一ヶ月を切った
予備校のクラスも心なしかピリピリしてる
俺はと言うと、何も変わらない

この数ヶ月、いろいろな知識を身につけた
そのひとつひとつが俺の好奇心を刺激した
ただ、やっぱり、ただの暗記というのがどうもダメだ
楽しくない、楽しくない事はしない事にしてるので
暗記はしない、と言うかその分問題をこなして
いつの間にか覚えているというのがいつものパターン

んで、勉強するのに飽きたらそれ以上しないで遊ぶ
こんなんでいいのかとも思うけど
こんなんでも適度にいろいろ覚えているんだから
悪くはないだろう
もしかしたら俺にはそれが最善のかもしれない
おかげでダーツの腕はかなり上がった
っていってもカウントアップをすれば半分ぐらいは
500を越せるようになってきた程度だけれども

俺の受ける試験は3つ
9月の1週目2週目3週目とかそのへん
受験票が届いていよいよ実感が湧く
まぁ受かっても受からなくても
予備校に通ってたこの一年が良かったなと
思えるようになったと思う

時間が出来た分、いろいろな人と出会い
今まで知らなかった知識を身につけ
まぁ落ちても死にはしないななんて思いながら
体力測定である懸垂を毎日5回3セットしてみてる
そんな受験前、さてこれからダーツでも投げに行こうか


byFAP

頑張れ。
もし落ちてもダーツのせいにしないようにな。
……ん? いや、待てよ……。

は! そうか!
もし落ちても、ダーツのプロとし


いや、なんでもない。




8月27日(土)

「ある日の休日」 byKTA

今日はいとこの家でイトコの子供達と遊んでいた
甥っ子と公園に行って逆上がりをしたりシーソーをしたり

姪っ子とはキックボードでかけっこしたり
姪っ子とシャボン玉をした時の事だ
たくさん出来たシャボン玉のうちのいくつかが
地面に落ちても割れないで残っているのに気が付いた

シャボンの液を触ってみると少し粘り気がある
今度はにおいを嗅いで見ると、糊のにおい
おそらくは、シャボンの液と糊を混ぜて作っているのだろうが
地面について割れないシャボン玉をつぶしてみると
サランラップのように平らに潰れて跡が残る

なんとも不思議なシャボン玉だ
こいつは面白いと思い
家に帰ってゲームをしていた甥っ子に
あわてて教えに行くと

「ふーん、そうなんだ」と言う淡白な反応

なにか、このシャボン玉にウキウキしてたのは
俺だけだったらしい
その後俺は姪っ子が飽きて違う事をしだしても
シャボン玉を作り続けたのは言うまでも無い




8月28日(日)

「ガソスタ」 byKTA

先日紹介した今日本一周中の彼ら
何気に何処までいったのかなーと思って見てたら
俺を思い起こさせるハイペースで南下中
一日に動画を5個前後アップしながら現在は青森県の弘前
しかも現地でたまたま知り合った人の家で寝てるとか
前回の紹介のときはこんな人がいるよーってだけだったけど
面白すぎるので、あえてもう一度紹介

ガソリンスタンド旅日記はこちらから




8月29日(月)

「蚊」 byKTA

昨日の夜、外で焼肉をしている時に
俺の腕に蚊がとまった

気づいた時にはもう血を吸ってたと思われる

すぐさま払いのけようとしたがその時ふと
先日の何かのテレビ番組の言葉を思い出した

「蚊が血を吸い始めたら途中で払わないで
  最後まで吸わせた方が腫れが少なくなります」
  
※説明
 蚊は皮膚にとまると、まず麻酔液をかねた唾液を注入する
 この唾液には血を固まらなくする作用もあり麻酔の効果で
 気づかれづらい、そしてこの唾液が
 後にアレルギー反応として痒みと腫れを伴うのだ

 

そうか、全部吸わせた方が腫れが少ないのか

1分経過・・・まだいるよ

3分経過・・・払いのけたい、いや我慢だ

5分経過・・・いい加減にムカついてきた
       刺さってる所は確かに感じないけど
       皮膚に触れたテメーの足が気になるんだよ

6分経過・・・
要は蚊が自ら飛んでいけばいんだろ?
よし、火を近づけよう
そうすりゃそのうち自ら逃げてくだろう

結局、この作戦が効いたのか蚊は飛び立っていった

そして翌日

今年一番の腫れ具合だ・・・

俺の我慢をしたあの数分間はなんだったのか

今日蚊について、少し調べたら
「長い間刺されているとその分唾液が多く注入され
        腫れが増す事もあるかもしれません」
という記述を発見

だまされた・・・・


みんな、蚊が皮膚にとまってるのを見つけたら
躊躇なく叩き潰すんだ、情けなんてかけちゃダメだぜ!!




ようし byFAP

さて、今日も元気に


あ、限界だ。
ここまで書くのが精一杯です。
やはり書くことがない時に、
無理して文章を書くべきではなかったのだ。
あまりにも意味不明すぎる。

大体、特筆して元気というわけでもなしに、
今日「も」とか言うのはどうなんだ、と。
そもそも私はそんな元気キャラではない。

第一、こんな文章を初来者に読まれてもみろ。
わけわかんなさすぎて、絶対引くぞこれは。
タイトルで「ようし」とか言っちゃってるし。
なにが「ようし」だ。
しかも「よーし」と書かないあたりに、
なにか自分自身の不思議なこだわりが
見え隠れしてるし。
なんのこだわりなのかは私にもわからんが。

人間、苦しまぎれにすることほど
見苦しいものはない。
それがこの日記の教訓だ。
我ながら超適当。





8月31日(水)

「今日は」 byKTA

久しぶりにFAPと改蔵が
俺の家へ来て遊び歩いていた
ダーツにボーリングに
やっぱりみんなで遊ぶと楽しいねぇ

さて、本格的に遊ぶのもこれが最後かな
明日からまた勉強だ、いや
今日これから、少ししようかな



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