2005/7月ー3

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7月21日(木)

文章という唐揚げ byFAP


文章とは、唐揚げのようなものだ。


文章のテーマが肉で、文章装飾が衣。
そして、その唐揚げを食べる消費者。

消費者には、2つのパターンが存在する。
1つは、テーマを重視する者、
つまり、肉を食べたくて唐揚げを食べる者。(以下、肉派)
もう1つは、面白さを重視する者、
つまり、おいしい物を食べたいという者だ。(以下、味派)


例えば、面白いテーマを論じてはいるが、
文章装飾がよろしくない文章があったとする。
例えに当てはめるなら、それは肉の質はいいが、
衣が不味い唐揚げとなる。

その唐揚げは、肉派の消費者には受け入れられるが、
味派の消費者には受け入れられない唐揚げであると
言える。

逆に、テーマそのものはほとんど存在せず、
文章装飾がとても面白い文章があったとする。
それは、肉がほとんどなく、厚く、美味しい衣が
たっぷりとあるだけの唐揚げである。

当然、肉派の消費者には不満の残る唐揚げだが、
味派の消費者にとっては、なんの不都合もない
唐揚げであると言える。
味派にとっては、美味しければ
それが肉や唐揚げである必要はないのだ。


また、味だけでなく、量もまた重要な要素の一つである。
唐揚げに食傷気味になってしまった消費者にとって、
無駄に大きい唐揚げを食べることは、
胸焼けを起こさせ、苦痛となる。

同じように、無駄に文字数の多い文章は、
簡潔な文章を見たい消費者にとっては苦痛となる。
しかし、逆に少なすぎるのもまた、
物足りなさを感じさせる。

量は重要な要素ではあるが、
これといった正解は存在しない。
質より量か、量より質か、という
料理人それぞれの方針次第なのである。


唐揚げとしての理想は、
肉の質がよく、衣も美味しい唐揚げである。

だが、自分の作った唐揚げが不味いと気付いても、
すぐに美味しい唐揚げが作れるわけではない。
肉の目利き、美味しい味付けというものは、
料理人のセンスと技術、経験が非常に重要なのである。

それらは、一朝一夕では身につかない。
もともとの才能か、努力を経て獲得するものなのだ。
人によっては一生身につかない可能性すらある。

美味いか不味いかを批評するのは簡単だが、
美味いものを自分で作るのは難しいのである。


また、自身には「美味い」と感じられても、
消費者には「美味い」と感じられない、ということが多々ある。
そのギャップを埋めるため、味を変えるというのは
良いとも悪いとも言えない。
作り手自身の味が消えてしまうからだ。

拘りを捨て、多くの人間に喜んでもらえる味にするか、
拘りを持ち、一部の人間が喜べる味にするか。
他人を重視するか、自身を重視するか、という話だ。
これもまた、正解はない。

重要なのは、自身がどのような目標を持ち、
また、その目標を達成するために何をしているか、
ということだ。


十人十色。美味い唐揚げも、不味い唐揚げもアリだろう。
不味い唐揚げがあってこそ、美味い唐揚げも引き立つし、
不味い唐揚げにも、光る部分が存在する場合があるのだ。

だが、作り手としてはやはり、
より美味い唐揚げを作りたいと思うものである。





7月22日(金)

「RIO SU10」 byKTA

先日買ったMP3プレーヤーの使用感なんぞを少し

俺自身フラッシュメモリとしての用途を求めて買ったので
USBのコネクタが本体に直接付いて1GBという時点で
満足なのですが、MP3プレーヤーとして使うなら
どうだろうと思う部分が少しある

例えば、ボタンが少ないので
再生設定(リピートランダム一曲リピート)が
ワンタッチで切り替えられない
メニューから >設定>再生設定>各種設定 を決定
としないと切り替えられないので、手軽ではない

イコライザーもあるが、同じく手軽に変えられない

電源を入れても起動するまでにかなり間があるし
何より俺が一番許せないのが
電源を入れるたび一曲目の曲が選択されるということだ
いろんな曲が聞きたいからランダム再生にしてるのに
毎回一曲目が同じとかはかなりウザイ

そして、さっきまで聞いていた続きを聞くためには
電源を落とさないで、停止状態で持ち歩くしかない
この状態だと、どの程度電池を喰うのかが謎
しかも初期設定では、無音状態がある程度続くと
勝手に電源が落ちるので、また最初から始まる

更に、フォルダ内リピート、ランダムが存在しない
これでは折角の1GBの容量も無意味だ

俺が思うに、音楽を聴きたいってのがメインの人は
おとなしく違うプレーヤーを買ったほうがいいかもしれない
フラッシュメモリが欲しいなぁと思ってて
ついでに音楽も聞きたい人なら、概ね満足できるといった所だ
それと最後に、初期のイヤホンが最悪
だからイヤホンは換えたほうがいいですよ


追記
起動の遅さは中に入ってる音楽の量による事が判明
ロードとか出てないので気づかなかった
でも1GB分入れるとかなり遅いのは確か




7月24日(日)

諦観の言葉 byFAP


「力を最大限、出しきりました」


世界水泳選手権のシンクロに出場し、
銀メダルを取った日本チームの一人が、
インタビューでそう答えていた。


『最大限頑張りました』、『できるだけのことはやった』、
『悔いはありません』、『満足できる内容だった』

よく答えられる言葉。
私はそれらの言葉に、微かに違和感を覚える。


自分の力を出し切った。
出し切って、そして1位になれなかった。
私にはこれ以上、良い結果は出せない。

『どうやっても、今の私の力では1位になれません』

深読みすれば、そう言っているようにも取れる。

それは、謙遜でも、満足でも、後悔でも、
ましてや希望でもない。
今の自分の可能性、その限界を見切った諦観。

そのように、私には感じられる。


とは言っても、これといって
いい代わりの言葉が思いつかない。
『力を出し切れませんでした』、『不満が残ります』では、
ただの負け惜しみ、敗者の遠吠えに聞こえてしまう。

今の結果に言及せず、
『次回は、金を取りたいですね』
という感じで答えるのが、
辛うじてマシな言い方だろうか、という程度だ。

そもそも、わざわざイチャモンをつけるような
事柄ではないし、特に間違った言い方でもない。
どちらかと言うと、誰も考えないような、
そんな細かいニュアンスに
いちいちツッコむ方がどうかしている。

しかし、それでも、
微かによぎるその違和感は、
私の中から消えることはない。





7月25日(月)

「誕生日」 byKTA

昨日で24歳になりました
BBSでもリアルでも多くの人に祝ってもらったよ
こんなに多くの人に祝われたのは初めてだよ
って、なんかそれ去年も書いた
もしかして祝ってくれてる人増えていってる?
このままの乗数ずつ増え続けると150歳ぐらいには
もしかして世界の半数が俺に祝福を!

いや、そんなしょうも無いことは置いといて
折角だから、このサイトを始めてからの誕生日
俺は何をしてたのか
果たして俺は成長してたのか
そのあたりをちょっと検証してみようと思う
日記のネタが無いわけではない



2001年7月、20歳の誕生日

とりあえず日記が中寄せ
成人になったその時は
ボーリングに行ってゲーセン行って
朝まで騒いでた、どうやら次の日テストらしい

備考
FAPはノリでPS2を買ってウハウハ
ヨドバシで36750円だったらしい
今は19800円で薄いやつが売ってるけどな
FAPの日記が危険色でいっぱい



2002年7月、21歳の誕生日

日記は俺だけ中寄せ
成人したって変わらない、とか言ってる
誕生日メール3通+電話1本来て祝福されてるのに
ありがとうも言わない、駄目だこいつ
そのうえ誕生日なんて覚えてねーよとか言ってる
すさんでるなぁ

備考
FAPは明後日レポートの締め切りなのに
明日から本気になるとかいろいろ言い訳をして
まず思う存分今日はネットで遊ぶ、とも言ってる



2003年7月、22歳の誕生日

俺も左寄せの日記に
日記の日付をここ数ヶ月間違えてたらしい
大型バイクの免許を取り免許を書き換える
免許写真は襟に爪切りをつけての撮影
前日に誕生日の話をふって「なんかくれ」発言

備考
FAPはひたすらやる気無し
図書館から借りてる本の期日も忘れる
やる気ナッシング、やるきMAXとか
言い換えて強調してる
他、まだ一人称が俺



2004年7月、23歳の誕生日

ドコモを否定
ようやく誕生日を事後報告に
みんなに貰ったプレゼントを写真に載せてアップ
よほど嬉しかったんだろう
全部今も使ってます、ほんとありがとう

備考
FAPは書く事が無くFNCニュースとか書いて
将軍様を弄ってる、こりゃ拉致されるね

備考2
俺の妹が「最中、もうお腹」とか言いだして笑う



まとめ
・ありがとうが言えるようになりました

・免許写真の襟元の爪切りが
 メガネにぶら下がるクリップに降格

・PS2安くなったよな

・遊びのバリエーションにダーツ加わる

・他、特に変化無し




7月27日(水)

「サイトの意味」 byKTA

思えば4年前サイトを創ろうと思った時
俺とFAPは何を考えていたのだろうか

もともとホームページと言うものに
ずっと興味を持っていた

当時は、テキストサイト全盛期
侍魂が爆発的に大ヒットしていた頃

毎日のように見ていたテキストサイトを模倣して
このサイトの枠組みのような物が出来あがった

前提に「これを書こう」という物があったわけではなく
ただ単にホームページを創ろうとしただけだから
テキストサイトを真似て創るのは楽だったし
それはごく自然な流れだったのかもしれない

今にして思えば、開設当初の数ヶ月なんて
見てくれる人もいないし、そんな寂しいサイトで
俺がどうにか日記を更新し続けてこれたのは
FAPという絶対固定の読者がいたからだろう
だって俺は今でもFAPの更新を楽しみにしてるし
FAPは楽しいと思ってるかわからないけど
俺の書くものを読んでくれる人が一人でも居るなら
さぁ書くかという気分にもなるものだ

そんな風にして1年も書いてきてからだろうか
サイトはいかにも真似ているテキストサイトから
自分の意見を発表するテキストサイトへ変わっていった

今日あった面白かった事
前から思ってた素朴な疑問
何かに対する自分の考え

こんな事ってなかなか人に改まって言う物じゃないけど
書いてみると素直に書けて、書いてるのも面白かったし
書いてみる事で初めて自分で発見する事もあったりして

もちろんそれに対してBBSやメールで反論や意見などを貰うと
また新たな考え方を知る事が出来てためになったりする
そういうコミニュケーションもまた楽しいのだ

そしてまた、最近このサイトにも新たな意味が付加した気がする
数年もサイトをやり続けていると
BBSに書き込んでくれた人の数も少なくない
その多くが、最近では見なくなってしまってはいるが
そんな旧友がブラっと覗こうと思った時
このサイトがまだあって、俺とFAPが元気でやってるんだと
確認してくれているだけで、このサイトには意味があると思う

リアルの友人でも、大学を卒業して就職し
滅多に会えなくなってしまったやつらも居るが
そいつらと距離を感じなく付き合っていられるのも
このサイトの意味になってきていると思う

そんな感じでこれから先、このサイトが
誰もが気が向いた時に立ち寄れる
みんなの家のようなホームページになればなと思うし
そうしていきたいものだ

それが今の俺にとってのこのサイトの趣旨と意味




4年間、そして  byFAP

ふと、思う。
なぜ私はサイトを作ったのか。
作ったとき、何を考えていたのか。

個人サイトの本質とは『自己主張』だ。
きっとそのときの私は、『自分』という存在を
広く世間に認知されたかったのだろう。
それは、小学生がヒーローやアイドルに憧れるような、
そんな稚拙な欲望に近い。
『名声を欲した』とも言えるだろうか。

自分という存在を遺し、また、影響力を持ちたい。
そんな思いがあったような気がする。

今もまだその思いがあるか、と言われると、わからない。
あるような気もするし、ないような気もする。

では私は今、どうしてサイトを運営しているのか。

多分、これといった深い理由はない。
惰性、自己主張、寂しさ、期待、喜び、退屈。
それらの細かい欲望が寄り集まったものが、
今の私のサイト運営の原動力であるように思う。

KTAがいて、そして見てくれる人がいる。
だから、私は文章を書き続けることができたのだろうし、
これからも書き続けるだろう。
深い理由など、必要ない。


私とKTAがサイトを立ち上げてから、はや4年。
その間、星の数ほどのサイトが生まれ、そして消えていった。
その中には、私達と交流を持つサイトもあった。
だが、今はもうそのほとんどが現存していない。

彼ら・彼女らは今、何をしているのだろう。
時折、そう思うことがある。

ネットという匿名社会では、それらを知ることは難しい。
一度消息が途絶えれば、彼らの存在は
情報の波に押し流され、海中へ深く埋もれて、消える。
私達から彼らを見つけることは、不可能に近い。

だが、私達がずっとこのサイトを続けていれば、
また彼らと会うことができるかもしれない。
彼らが私達の名前さえ覚えていてくれれば、
このサイトはすぐに見つかるのだ。

彼らと私達の距離は、とても近く、とても遠い。


4年間、ネットの中に棲み、その流れをずっと眺めてきた。
様々なものが始まり、終わり、また生まれ、
ネットは変わっていった。

その流れは、きっとこれからも変わらない。
同じように、私達もまた、出会いと別れを繰り返すだろう。

それでも、ここにはKTAがいて、私がいる。
いつか彼らが過去を懐かしみ、回顧した時にも、
変わらずにここがあり、ふらりと立ち寄れる。

ここがそんな、彼らと私達にとっての
もう一つの故郷のような存在になることを、
私達は願っている。





7月28日(木)

「回る世界」 byKTA

自分を中心に世界が回ってると思ってる奴だな
なんて言い方をする事があるが
俺、ずっと地球の自転の事だと思ってた

でも普通に考えれば自転の中心が地表にあるわけ無いし
この場合の「回る」は地球の自転じゃなくて
時代とか、文化の流れの事を言ってるんだよな

もともと意味も自己中心的なと言う意味だし
でもその自己中心的さが
俺が地球を回してるんだ的な、神でも気取ってる
自己中のことを言っているのかと思ってたのさ


んで全然関係ない話になるけどこれを書いてて思ったんだけど
地球は何を中心に回っているんだろう?
いや、そんなもん地軸に決まってるんだけどさ
それはあくまで「軸」なわけでしょ?

あんなでかい軸全部が中心?
いやまぁ確かに、軸を回転の上から見れば点になるけど
中心て言うのはやっぱ軸ではなく点だと思うのさ

でそれを踏まえて素朴な疑問
じゃあ地球はどこを中心点にして回ってる?

球体は回りだした瞬間に軸で回るし
なんかいまいち中心点で回ると言うイメージも無い
もしかして球体は点を中心に回る事は無いのか?

なんか当たり前の事に疑問を感じる今日この頃


byFAP

確かに軸は点とは言えない。
0次元の「点」の連続が
1次元の「線」であるわけだが、
0次元と1次元の隔たりは絶対的だ。

だが、3次元であるこの世界の「点」となると、
また話は違ってくる。

例えば、自転軸が一つある地球の中心から
自転軸と90度違う角度の軸が伸びているとする。
この場合、「二つの軸がある」とも言えるが、
軸が重なり合った部分を指して
「中心点がある」とも言えるのではないだろうか。

しかし、これは素人考えなので、
この考えには何か穴があるような気がする。




7月29日(金)

「ダーツボード」 byKTA

みんながお金を出し合って
俺の誕生日プレゼントにと
ダーツボードをプレゼントしてもらった
ネットで買ったのでまだ手元には無いが
数日前から楽しみに待っていて
今現在かなり浮き足立っている

最後まで鉄の針を刺すハードボードと
プラスチックの針を刺す電子ボードと迷ったが
みんなで楽しみたいなと思い、計算が楽で
気軽にゲームを楽しめる電子ダーツのボードに決めた

浮き足立ちすぎて、そのボードを設置する用に
天井と床があればダーツが出来るように
突っ張り棒の様な物も既に購入してしまった
今日当たりに家に届くと思っていたが
まだこない(現在16時)所を見ると
今日は来ないかもしれない、残念だ


実は、それとは別にFAPとあと数人で共同購入をした
ジャンク品のダーツボードの方が昨日届いた
なかなか良い感じ、確かに電子部分が壊れているから
自動計算はしてくれないけど
練習用のただのターゲットとしては良品だ

そして上で書いたポールに取り付けたのがこれ



結局俺が負担した金はこのセット全部合わせて
2000円、安い安すぎる
2000円でどこにでもダーツが設置できるようになった
これを使って更に腕を磨いていきたいところ


プレゼントに貰ったのが来たらすぐ
これと取り替えると思うけどね




7月31日(日)

例によって byFAP

なにか書こう、なにか書こう、と思っても
何も書くことが思い浮かばない。

書きたくないわけではない。
書きたいけど、書くことがないのだ。

例えるなら、閉鎖された部屋で『遊びてぇー』と思って
部屋の中を漁ったら黒ヒゲ危機一髪しかなくて、
『遊びたいけど、黒ヒゲを独りでやるのは……』
みたいな感じだろうか。
余計わかりにくいか。

加えて、うだるような熱さが脳を溶かす。

『書くことない? じゃあ書かなきゃいいじゃん!
 イイじゃん! イイじゃん! EE JUMP!』

頭の中で、もう一人の私がハジける。

今時EE JUMPはないだろうと思いながら、
無理して文章を書く意味はあるのかと悩む。

そして、「まあ、いいや」という究極の魔法詠唱により
この文章がアップロードされた。

こうして、執筆者及び閲覧者に、『時間』という
お金で買えない価値を失わせる
恐ろしい文章がこの世に産み落とされたわけである。




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