2005/1月ー3

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1月22日(土)

本気で悩んだ byFAP

時計が丑三つ時を知らせる。

気付いたらこんな時間だ。
さっきから欠伸も出ている。
そろそろ寝るか。

部屋の電気を消し、ベッドに横になる。

真っ黒な空間をじっ、と見つめる。
軽く溜息をつき、ふと横を見ると赤い点が三つある。

AV機器の赤色LEDだ。

一番高い位置にある光はAVアンプ。
その少し右下にあるのがPS2。
一番下にあるのが



はて。

あんな下の方に待機電源を必要とする機械なんて
置いていただろうか。

台の上にはそこまでスペースはない。
置いた覚えもなければ、置けるとも思えない。

背中が少しぞくり、と寒気を訴える。

あの光はなんだ。
どうして光っているんだ。



と、一人で恐怖して思考していると答えが出た。

『あ、テレビか』


という、当たり前すぎることは案外気付かないとか、
なんかそういう感じの割とどうでもいい話。





1月24日(月)

「気になりだすと止まらない」 byKTA

きっかけは友人とっちと車で移動中に見た
ロードヒーティング故障中のたて看板だった

ふと頭に疑問がよぎった故障ってなんだ?
隣に居たとっちと意見を交わしながら話していた

俺はこう言った

仮説1
  ある物体のどこかが壊れて
  正常な動作が出来なくなった時
  その物体は故障してると言えるだろう


こう言うと、とっちに突っ込まれた
箸の一部が壊れていても
その箸は故障してるとは言わないよな?

もっともだ

これで故障するものと故障しないものがある
と言う事に気がついた
例を挙げると
車、、テレビ、、ミニ四駆、チョロQ
このあたりは故障すると言えるだろうし
ゴム動力の飛行機は故障というだろうか?
剣玉や独楽、箸は故障するとは言わないだろうが

これを考えているととっちがこう言った
複数のパーツがお互いに作用しあっている物体でしか
故障という現象は起きないのではないだろうか?

仮説2
  ある複数のパーツ(機能)で成り立つ物体があり
  その一部が壊れ、正常に機能しない場合
  その物体は故障している


例えると
車のエンジンが壊れた場合
その車は故障している

またそのエンジンのシリンダーが壊れていた場合
そのエンジンは故障している(車も故障している)
もっともだ、

だがここで更なる疑問が浮かび上がる

その一部が壊れている場合とあるが
一部とはドコまでだろうか?

例えば模型のプロペラ飛行機を想像してもらいたい
あれは簡単に言うと
ゴムの動力、プロペラ、骨組み+羽(ボディー)の
3つのパーツで成り立っている

そのうち
 a:ゴムが劣化し伸びなくなると
 (一部が壊れた)
 プロペラが回らず飛ぶことができ無いので
 (正常に機能しない)
 この飛行機は故障していると言えるだろう

 b:同様にプロペラが欠けた場合も
  飛ぶことはでき無いので故障したと言えるだろう

 c:当然最羽や骨組みに穴が空いたり折れたりすると
 飛ぶことができないので、これも故障と言えるだろう

しかし、羽に穴が開き、骨組みも折れ
プロペラも壊れ、ゴムが切れている飛行機を見たとき
(abcのすべてが壊れている場合)
その飛行機は故障しているとは言わないだろう

この場合この飛行機は壊れている
と言うのが適切ではないだろうか?
もしくは、この「abc」の2つが壊れていて
故障しているとはいえないと思った人も居るはずだ

だとすると、どこかに、「壊れる」と「故障」の
境目があると思うのだ

全体のどのくらいが「故障」すると
「壊れる」になるのだろうか
かといって 違う動作をするパーツを
その物体の比率で表すのは至難の技だし

ここで俺が新たな仮説を思いついた

仮説3
  ある人が正常に作動しなくなった
  メカニズムを見て、修理して治ると思った場合
  その物体はある人にとっては「故障している」
  そして、ある人から見て治すことが出来ない
  すなわち壊れていると思った場合
  その物体はある人にとっては
  「壊れている」と言えるのではないか?


とりあえず、二人はこれで納得して
議論はここで終わったのだが皆様はどう思われただろう
ちなみに家に戻りgooの辞書を引くとこう書いていた

 こしょう ―しやう 0 【故障】(名)スル
>機械や身体などに不調が生じて、円滑に働かなくなること。

 こわ・れる こはれる 3 【壊れる/▼毀れる】
>機械・器具が正常な働きをしなくなる。故障する。





グレーゾーン byFAP

すべての物事が白黒を分けられるわけではなく、
大抵はその中間である「グレーゾーン」が存在する。

物事の定義における議論で問題となるのが
そのグレーゾーンの範囲と扱い方である。

グレーゾーンは個々人・場合によって判断が異なるわけで、
『グレーゾーンの正確な定義』という議論は
はっきり言ってしまえば無駄である。

実際KTAととっち氏の議論でも
『直せると思った人には「故障」であり、直せないと
 思った人には「壊れた」とされる』という結論しか出ず、
一言で言えば「人それぞれ」という、いつもの台詞で
終わってしまったわけである。

しかし無駄とは言え、こういう議論は面白い。
普段そこまで意識しなかったことを真剣に考え、
互いに意見の不備を指摘し、また賛同もしながら
相手と協力して一つの答えを模索する。

そこには信頼関係の一つの形がある。
結論そのものは無駄だとしても、
その行為自体は無駄ではないと私は思う。

ちなみに私の「故障と壊れたの違い」も
KTA達とほぼ同じ結論になる。

 『直せる』『直せそうだ』と思っている間は
 その物体は「故障している」とされるが、
 『直せない』『直せなさそうだ』と思った時点で
 「壊れた」とされる。
 また、その逆もある。

KTAの意見と少し違うのは、
『同一人物内でもその物体の状態判断は
 変化することがある』という事を明示している点である。

KTAもそういった意味を含めていた(または含めようとした)とは
思うが、明示されていなかったのでとりあえず指摘しておく。

余談だが、上記した通り大抵の「定義の議論」は
『人それぞれ』または『場合による』が結論となる。
もし相手とこういう議論をする機会があったなら、
それらの結論を出さないようにして議論をすると、
それなりに面白い議論ができるだろう。

そして同時に、逃れられない二つの絶対的結論に対し、
虚無感と絶望を感じることになるだろう。


追記:

見た目(外見)は普通で、内部が破損 =故障
見た目がすでに破損している =壊れている

というイメージがある。
プロペラ飛行機を「故障」と言うのはどうも違う気がする。
例え「直せる」程度のものでも、外見が壊れているなら
「壊れている」と言えるのではないか。





1月25日(火)

「気になりだすと止まらない2」 byKTA

実は昨日の日記をお互いに書いてから
FAPとメッセンジャーにて続きの議論が行われた
その時はいろいろ話した、その結論は
場合によるですべて議論は説明できる
しかし「場合による」と言う、この言葉は
この世にあるものすべて、そして
もしかするとあの世にあるものまで全てに
通用する言葉だと言うことがわかった

と言うことは議論の答えは
「場合による」で合っているが
それは答えですらない

そういう時FAPはそこで考えることを止める
答えが一定に定まらないと見限った時点で
FAPはその議論について考える事を止めるらしい

俺はと言うと
そういう時でも、確実に否定が出来る場合があれば
それをその段階での答えと捉える
そんな消去法のような考え方でも
その時点での「答え」がでて俺は満足なのだ

そして、また考えてみた時
または第3者に尋ねたときに
例え唯一の答えは出なくても、また少し答えに近づく
そして、また考える、答えに少しでも近づくのなら
俺はそれが純粋に嬉しいし、楽しい
だから俺は考えることを止めない

一見、というか大多数の人にとって
無駄だと思うことを俺が考えるのは
答えが「場合による」と思っていないからで
そう思わなければ、考えることもその過程も無駄ではない
答えは出ないかもしれないが、答えには近づいている

もしも「場合による」と言う答えを出してしまったら
その時点でそれは答えが無いと言うのと同じことだから
答えがないと言うことが明確にわかるまで俺は
考えることを止めないのだと思う

おかしな話だが、「場合による」で答えるか
それよりもさらに突き詰めて考えるかは
まさに場合に(人の考え方に)よるのだろう
そしてそれは、その人の自由だ

もしかすると人は自分だけの答えを見つけるために
生きている生き物なのかもしれないなぁ




1月26日(水)

押しちゃ駄目と言われると byFAP

まずい。欲しい。
超押したい。連打したい。

100%役に立たないだろうが惹かれてしまう。
高いような安いような値段もまた絶妙だ。

とりあえず5分ほど真剣に悩んだが
結局買わないことにした。
4,000円もの無駄金を使う余裕は私にはないのだ。

非常に魅力的なアイテムだが、今回は諦めて
次回、金に余裕のある時に目に止まることを
祈っておこう。

このサイトを見ている人が買ったら、
それはそれで面白いのだが。
KTAあたり買わんかね。

byKTA

買いません!




「雪ふりすぎ」 byKTA

この数日でめちゃめちゃ降ったよ
朝起きたら車とかこんな感じだし






1月27日(木)

「いまだに」 byKTA

V602のレビューをたまに更新してる
最近は検索で来る人も落ち着いてきてて
ほとんど誰も見ていないんだろうが
なんとなく、気づいたことを書いてしまう

ほんとに趣味だな、こりゃ
画像を比較するのとか、単純におもしろいし
実は、書き始めのころから
これは載せておきたいと思っている
画像の比較があるのだが
いまだに、いい被写体が思い浮かばなくて
断念していることに、動く被写体の撮影がある

比較になるように、一定の速度であるもの
速さが調整できるもの、手軽、これがなかなか無い
最初、坂道を作って、角度を変えてとかも思ったが
めんどくさいのでやっていない
気が向いたらするかもしれないけど

それにしてもこの携帯、今は新規だと0円だとか
(つかそろそろ、在庫が無いのかもしれないが)
この半年で、いろいろ撮ったがいまでも満足している
さすがに画質でデジカメと比べるわけにはいかないが
今日また、画像比較の写真を撮ってて改めてそう思った

ちなみに今までこの携帯で撮ったベストショットは これ
無加工で700KBぐらいあるので注意

こんなに良く取れるのは稀だけどさ
お気に入りの一枚




1月28日(金)

「唐突に」 byKTA

稚内に行きたくなったので
行ってきます、そうね、道連れはとっちあたりかな




1月29日(土)

GT4 途中経過 その3 byFAP

ある日、私はとあるGT4画像掲示板で
貴族の乗ってそうな車(以下、貴族カー)を見た。

調べてみると、スーパーライセンスでのオールゴールドの
プレゼントカー「フォード モデルT ツアラー ’15」という
車だと判明した。
『ジェントルマンたる者、
 これは是非とも手に入れねば…!』

というわけで、私はスーパーライセンスのオールゴールド
を目指すことにした。
無論、国内・国際A・Bオールゴールドなんて無視である。

まずは(中略)FORD GTが曲がりにく(中略)鈴鹿は(中略)
では壁スリで(中略)クリンクは余裕が(中略)だった。

というわけで、三日かけてSライセンスの
オールゴールドを達成し、夢にまで見た貴族カーを
手に入れることができた。
これでまた一歩、私は紳士に近付いたはずだ。

嬉しさついでにフォトモードで撮った写真をUPしてみる。
※原寸のままだと無駄にサイズがでかいので、適当に縮小した。

風景に溶け込む貴族カー。
(画像クリックで中途半端な拡大画像を表示)

「ただ写して載せるだけ」というのもなんなので、
PhotShopで適当にフィルターをかけた物も用意した。

絵画風に気取る貴族カー。
(画像クリックで中途半端な拡大画像を表示)

フォトモードをいじっていて思ったのだが、
写真というものは非常に奥が深い。
自分の撮りたい写真が頭に浮かんでも、
なかなかそれを満たすものを撮ることができない。

しかし、色々と数値や視点を試行錯誤して
写真を撮るというのはとても面白い。
また、写真はその人のセンスをそのままに映し出す。
自分が「良い」と思っても、他人から「ダサイ」と
辛辣な評価を受けることもあるだろう。

自分のセンスを人前に晒すというのは、
実は予想以上に勇気のいることである。

ただ、大してプライドを持っていない人間にとっては
そこまで怖いことではない。私とか。

おまけ

アグレッシブ紳士
果敢に攻める貴族カー。

今気付いたが、なんか前から車を見た画像ばっかりだな。





1月31日(月)

「稚内行ってきた」 byKTA

ドライブ伝説として書こうと思うので
予告だけ

1、俺が車を運転中に体験した中で
  一番の吹雪を体験した

2、家を出たのが12時、札幌を出たのが15時

3、道順は札幌、、旭川、名寄、中頓別
  宗谷岬、稚内、紋別、名寄、旭川、札幌

4、KTA日本本土の最東西南北の地を制覇

5、夜中の1時に宗谷で海に向かって叫ぶ

とにかく疲れた



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