2004/11月ー1

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11月1日(月)

「音楽」 byKTA

今日は仕事の帰り、父と一緒に帰ってきて
たまたま、同じぐらいに仕事が終わり
車で帰っていたのだが

30分ほど走ってから
父はいきなりカーステの音量を上げた

俺が「?」と思っていると

父「KTA、これ誰歌ってるのよ!」

どうやら今かけていた歌がお気にめしたもよう

父「最初のトランペット、それと
  このリズムとボーカル、これは良い!!」

結局帰りに、レンタルショップで
CDを借りてくるほど、お気に入りになったらしい

父「頑張って歌えるようにならないかな?」

父さん、それは無理です
だってSURFACEだもん

ちなみに「さぁ」がお気にめしたみたい





11月2日(火)

無駄な描写 byFAP

煌々と光る蛍光灯の下、私は軽く溜息をついた。

画面には新着を示す赤い文字が、
普段なじみのない言語でずらりと並んでいる。
私はそれらを一括選択すると
Deleteキーを押した。

スパムメール、一日平均14件。
ネットの普及した現代において
この数は決して多くはない。
ここ数年のメールの全トラフィックのうち、
スパムメールが占める割合は
5割とも9割とも言われている。

PCは定額なので手間だけで済む分まだ許せるが、
携帯に届いた場合はパケット料金がかかる。
まったく迷惑な連中だ。

湯気が踊るカップを手に取り、
深い色を湛えているコーヒーに口をつける。
じわり、と苦味が口の中に広がった。

今時、こんなメールの誘いに乗る人間が
果たしているのか甚だ疑問であるが、
スパムメールが減らないということは
それなりに誘いに乗る人間が存在するのだろう。

一体どんな輩がこのメールを
利用していると言うのだろうか。
初心者か、理解して突っ込む無謀なる挑戦者か。

『無知は罪なり』とはよく言ったものだ。

スパム業者は利益が出るからスパムを出す。
スパムに効果がなければ、わざわざそれに
時間と費用を割くメリットも必要性もない。
つまり、誘いに乗る者が存在する限り、
スパムは決して消滅することはないということだ。

被害者とも言うべき彼らが
同時に加害者でもあるというのは皮肉なものだ。

カップの中の漆黒が薄くなり、
ぼんやりと白地の底が見えてくる。

私はメーラーを終了させると、
また軽く溜息をついた。





11月3日(水)

「配置換え」 byKTA

机の上を占領していたPCを
コタツの上にあげ
勉強できるように
机をあけた、何も無いので
本棚でも買ってこようと思います

がんばらんとな




11月4日(木)

デフラグ 顛末 byFAP

約一ヶ月前の10月6日の日記で書いた、
一年(と2ヶ月)間デフラグしてない
例の外付けHDDをデフラグしてみた。

一年間、毎日のように使い込んだHDD。
果たして中身はどうなっているのか……。


しばらくしてから「あ、デジカメで撮っとこう」と気付いたので、作業が少々進行している。


すんげぇ赤い。

80GB(うち15GBが空き)の約8割が真っ赤である。
これは……予想通りと言うか、以上と言うか…。
見た瞬間、少々絶句してしまった。

よくもまあここまで酷使したものだと
自分でも感心してしまう。


そんなわけでHDDは「カカカ」とか「コココ」とか
カイジの兵藤会長ばりの音を夜通し上げ続け、
朝方まで私の睡眠を阻害してくれました。


眠い…。
            終了間際

うん、外付けHDD君。
君はよく頑張った。

これで今日からまた安心して酷使できるよ。





11月5日(土)

「最後」 byKTA

あと何回この作業をできるのだろう
今日も窓を拭きながら思ってしまった

俺は20日で仕事を辞める
なんだかんだ言って2年もしてたな
こうやって、当たり前にロートを回したり
カビ取り剤の匂いを嗅ぐのもそろそろ終わりか

これで靴下をこんなに買わなくてもすむし
私物が汚れる事もなくなる
手が荒れる事もなくなるし
爪にワックスがつくこともなくなる

ちょっと、寂しいなぁ




11月6日(日)

「極論」 byKTA

なんで仕事があるのか?
それはたぶんしないと困るからだからだろう
全員が服が欲しいと思っても
服を作る人が居なければ話にならない

ってことはだ
金なんて概念がない頃に服を他人の分も作った人は
下心はあったかもしれないけど
あったほうが助かるから服をつくったんだろう

で、何が言いたいのかと言うと
仕事があるということは
誰かがそれを必要としてるから

言い換えれば
誰かのためにになってるから仕事がある
仕事とは誰かのために何かすること
だと思うのだ

これ、突き詰めて考えると
金なんていらない気がしてきた


ここに金とは何かというのが書いてあったが
この上の方の言葉を俺流に略して書くと

もともと、集団で生活してる場合
食べ物を確保する人とそれ以外のものを造る人がいれば
金なんか要らない
家族どうしで、金を取らないで
食事を作ったり、手伝ったりしてるようなものだから
と書いているが

単純に考えるとだ
世界中の人を家族のように思えれば
金はいらない

俺が頑張ればみんな助かる
と言う意思でみんなが動けば
金なんて要らなくなる

金が要らなくなったら、その分争いはなくなると思う
比較もしないから妬むことも無くなる

数値で言うのも嫌だけど
10役だってる人と10役だってるは
同じだけいい生活が出来ないと本来はおかしい

でも実際問題、景気が良いとか
儲かったから、金が無いからと
その仕事や会社によって支払われる給与は差がある
給料で支払われる金が
誰かのためになってる値で間違いないのなら
何も問題は無いが、残念ながらそうではない

だったらいっそ、金なんて概念すらなくなってしまえばいい
誰かのために働いてるならそれでいいじゃないか
唐突にそう思った、23歳の秋




社会主義 byFAP

上の日記でKTAが主張している内容。
それは『社会主義』と言う。

> しゃかい-しゅぎ ―くわい― 4 【社会主義】
> 〔socialism〕
>
> (1)資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾を、
> 私有財産制の廃止、生産手段および財産の共有・共同管理、
> 計画的な生産と平等な分配によって解消し、
> 平等で調和のとれた社会を実現しようとする思想および運動。
> 共産主義・無政府主義・社会民主主義などを含む広い概念。
> (2)マルクス主義において、生産手段の社会的所有が実現され、
> 人々は労働に応じて分配を受けるとされる共産主義の第一段階。
>
> goo辞書 三省堂提供「大辞林 第二版」より

今は亡きソビエト連邦が社会主義であった。
なぜ社会主義が崩壊し、資本主義が支持されるのか。

私なりに簡単に言わせてもらうと、
『社会主義は人間の善に依存する』
ということにある。

> 俺が頑張ればみんな助かる
> と言う意思でみんなが動けば
> 金なんて要らなくなる
>
> 金が要らなくなったら、その分争いはなくなると思う
> 比較もしないから妬むことも無くなる

『通貨』という概念が存在しない社会の中で
そう考え続けられるのは一部の根っからの善人だけであり、
大半の人間は「怠惰」という欲望に飲まれてゆく。

10働いても1働いても同じ価値を
与えられるならば、ラクな方を選ぶ人間が出てくる。
もし、10頑張る人間と1しか頑張らない人間が
同じ価値であるなら、それは不平等となるだろう。

また、働いた時間によって与えられる価値が
増減すると言うのなら、それは既に『通貨』という
概念が存在するのと同義である。

すべての職業の価値を統一しても問題は存在する。
例えば、命の危険がある職業と
まったく命の危険がない職業とでは、
当然多くの人が危険でない職業を望むだろう。

その結果、職業に人気の差が生じてしまうため、
社会が上手く回らなくなってしまう。
クジなどで平等に職業を分配したとしても、
やがて職業を比較して妬む人も出てくるだろう。

どんなことをしても争いがなくなることはない。
私達が欲望を持つ人間・生物であり続ける限り、
社会主義は成立しないのである。

KTAの望む世界を実現するには、前提として
私達は人間であることを捨てなければならないだろう。





byKTA

一応言わせてもらうなら
社会主義は知ってる
俺はその思想を聞いた時「これだ」と思ったよ
ただ人間、少なくとも今の人では
それは使いこなせない

だから、そんな風になるなんて思ってもいないし
そういう考えが良いと思う人ばかりでないのは
知っているよ

ソ連を筆頭に社会主義が駄目になったのは
俺もよく調べた訳ではないから詳しくはしらんが
推測するに、その理念をまとめる
つまりは国の指導者やら行政機関が
その思想を正しく使ってなかったから
または正しく理解をしていなかったからだと思う

結果、国の言いなりのような形になり
秘密主義のなんだか分からん国になってしまったわけだ


あとはFAPも書いてたが
頑張りによって差が出ないとこれは不平等だ
だから役立ってる順序で良い生活ができればいいのだよ
条件の悪い仕事も同じ

これをしようとすると通貨の概念が絡んできそうだが
別にそれならそれでも良い
あいつは仕事をしないから、役に立ってないから
と、それなりの生活しかできない

想像するのは難しいかもしれないが
今の世界では無いから、それが当たり前
怠けてるものには怠けてる程度の生活
頑張ってたり、命を張ってる人はそのぶん
恵まれた生活ができるのがあたりまえという
世の中であれば、いい

なんでこんな事を思ったのかと言うと
どちらも大切で、無くてはならない仕事なのに
仕事量や給与に差がある現実がある
遺産があって、遊んで暮らせる馬鹿が居る一方で
毎日汗水流して働いても
明日の食い物に困る家族も居るだろう

そんなことを思った時になんとなく頭に浮かんだんだ
ただそれだけ、それを考え出すと
金なんか無い方がいいなぁと
というより、給与というのがそういうところを
判断して与えられるならそこまで思わないんだろうが

金が無ければ、というのを
もっと突っ込んで言わせてもらうと
金が無ければ仕事は減る
金を管理する機関、金の管理のための部署
その全ての仕事が不要になって仕事は減る

さらに言うなら全ての人間が自分の事だけでなく
他人の事も考えれて、かつ信じあえれば
人を疑う事で成り立っている
馬鹿馬鹿しい仕事が全て不要になる

その全ての仕事に携わっていた人員を
他の所に回せばどれだけ一人頭の仕事量は減るだろうか
俺が思うに今と同じ量を生産しても
一人あたりの仕事量は格段に減り
楽になることは間違いない

ま、今の世の中では
そんなことすら考える人も居ないし
思ったところで、誰もこの考えに賛同しないだろう
なぜなら、絶対条件が、人を疑わない事だから

が、もしそうなればおもしろい、と思う

FAPも言っているがもしもそれを実現させるなら
人間を、生物を辞めなければ無理かもしれない

それでも俺はこの考えを捨てずにはいられないだろう



byFAP

こういった思想は人間の夢であり、理想である。
私もそういった理想を求めていたことがある。

9月13日の日記で書いた「正しい社会」と同じように、
社会主義的社会というものは決して実現しない
人間の永遠の理想として存在し続けるだろう。



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