2004/5月ー4

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5月24日(月)

byKTA



zeikin.jpg(16887 byte)

消費税高すぎるだろ

 


5月25日(火)

byKTA

最近びっくりした事

もう2年近くもPCを使いつづけている俺の妹が
複数をドラッグできる事を知らなかった事

 


5月26日(水)

意味の変化 byFAP

テレビを見ていると、ある料理を食べた人が
「最高です!」と笑顔で言っていた。

最近は特に安易に「最高」と「最低」
という言葉が多用されるようになってきている。
「最高」、「最低」とは読んで字の如く
「最も高い」、「最も低い」という意味だ。

果たして彼等の言う「最高(最低)」とは、
何を基準に、何と比べて「最も高い(低い)」というのか。
そしてこの使い方は誤用なのだろうか。

テキスト「正しい日本語」で述べた通り、
日本語とは常に変化するものである。

それを踏まえた上で考えられるのは、
ここ近年で「最高」、「最低」の日本語の意味が
変化してきたのではないか、ということだ。
そう考えた場合、この「最高」の使い方は
誤用ではないと言えるだろう。

つまりこの場合、彼等の言う「最高」とは
「最も高い」という意味ではなく、
「凄く良い」や「最近では特に良い」という
意味になると考えられる。

個人的に面白いのは、「最低」という意味の中に
『品性が下劣な・こと(さま)』というものがあり、
必ずしも「最」の部分が「最も」を意味するわけでは
ないということだ。(goo辞書より)

「全然」という言葉がある。
もともとこの言葉は「全然〜ない」という用法で、
否定的な意味だけを持つ言葉だった。
しかし、近年の言葉の変化により、
それらの意味に加えて「非常に。とても」という
意味を持つようになったのである。(参考)

この「全然」に限らず、近年の言葉の変化により
意味が付け加えられた単語は数多い。

それを見る限り、そのうち国語辞典の「最高」の欄に、
「凄く良い」、「最近では特に良い」というような
新しい意味が付け加えられる日が来るのかもしれない。

日本語は身近な所で、
今も変化を繰り返しているのである。




byKTA

最近入ってきた新人の子が居るのだが
ちょっと変わっていて

今日なんかは、何の前触れも無く
手馴れた手つきでノートに英語で何かを書き始めた

それを見ていた会社の人が

Yさん「へぇS君英語得意なんだ」

S君「そんなことないですよ」

KTA「ところで、それなんて書いてるの?」

S君「さぁ、・・・なんて書いてあるんでしょうね」

さぁって、てめぇで書いてて解んないのかよ

それとも、俺らに知られたくない事でも
書いていたんだろうか?


そんな事を思っていた、次の瞬間
すごいものが目に飛び込んできた

英語で書かれたノートの上の方を見ると
日本語で何か書いてある

俺の名前も含めて会社の人の名前が書いてある
よくみると俺の名前の横には
「メガネ君」と書いてあった

花粉症で鼻ばかり書いているYさんの横には
「ハナハナ」と書いてある

この前の休憩の時にジャガリコを食べていた
Aさんの名前の横には
「ジャガリコ、ジャーマン」と書いてある


Sよ、一体お前は何がしたいんだ?

入ったばかりで、名前と顔が一致しなく
特徴を書いて名前を覚えているにしても
それはおかしいぞ


byFAP

自分なりに覚えやすい方法で覚えようとしてるんだろ。
覚えるキーワードが少々独特で面白いが。
まあ、なんだ。気にするなよメガネ君。

 


byKTA

メガネ君って言うな

 


5月27日(木)

byKTA

この時言っていたこの話

>二台の携帯カメラで同時に撮影し、
>取った映像で立体視する革新的KTA。

実際に2台の携帯のカメラでとった写真を
並べて写真をとってみた
当然といえば当然だが、立体に見える

ちなみにこれは平衡法とか言うやつで見て欲しい
真中に3つ目の写真を作る感じでね


rialr.jpg(4876 byte) riall.jpg(7500 byte)

 


5月28日(金)

byKTA

最近、サイトの中身をあちこちいじっている
3年もやってると、ファイルの量も増えて
扱いづらくなってきたので
フォルダ分けしようとしていたり

昨日FAPと話していたのだが
伝説も戯言も全部一つにまとめて
TEXTと言うコンテンツにしようか、とか

年賀状伝説の年賀状の写真を
今度はスキャナで綺麗に取ってみようかとか

昔のページの構成や没構成を紹介してみようとか

スタイルシートをもっと取り入れようとか

ま、何もしてないし更新もまばらだけど
意外と俺たちは頑張ってるって事ですよ
ま、ぐだぐだな程度にね



5月29日(土)

「絶対」は存在するか byFAP


『絶対』は絶対にない


字数にしてわずか八文字(鉤括弧含まず)
口に出して十二文字で語れるパラドックス。
この言葉は短くして実に面白い。

果たして「絶対」は存在するのか、しないのか。

私見を述べるならば、「絶対」は存在する。
ただし、特定範囲内での話である。

その特定範囲とは「過去」。

「過去」とは、起こった事柄である。
今、我々が生きている「現実」は
起こった事柄の積み重ねの上に成立している。
我々が生きているこの世界において、
唯一「過去」のみが不動のものなのだ。

もし「過去」が「絶対」でないのならば、
その積み重ねの上にある「現実」、
すなわち今の我々の存在も
「絶対」でないことになる。

しかし我々は現に存在している。
即ち、過去は「絶対」であると言えるだろう。

では、未来に「絶対」は存在するのか、しないのか。

この問の答えは「わからない」である。

未来に何が起きるかということを
我々は確実に知ることはできない。
0.00000001%でも違う事象が起きる可能性が
あるのならば、その時点で「絶対」は存在しなくなる。

『ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と
 速さとを知ることができるならば、
 未来永遠にわたって宇宙がどうなるかは、
 解析学の力によって知ることができるであろう』
と述べたフランスの数学者、ラプラス。

『すべてを知ることのできる存在』、
俗に言う『ラプラスの魔』は、既に量子力学の
『不確定原理』によって成立しないと証明された。

だからと言って、「絶対はない」とは言い切れない。
もしかしたら量子力学では説明できないような
我々の知らない「絶対」があるかもしれない。
可能性はとても低いが、それでも0ではないのだ。

未来に「絶対はある」とは言い切れない。
しかし「絶対はない」とも言えない。
よって、「わからない」という答えになる。

『この世に絶対はない』という台詞があるが、
「この世」という言葉に「過去」も含まれるのならば、
『この世に絶対はない』という台詞は間違いである。

「絶対」は存在する。

 


5月30日(日)

byKTA

昨日、今日と立て続けに坊さんを見かけた
たまたま、コンビニに買い物にいった時と
車に乗ってた時に信号待ちの時に見かけた

コンビニの前で見た坊さんは
コンビニのビニール袋を手に持ち
喉を痛めてるのか、咳払いをしながら
地面に痰を吐いていた

今日見た方の坊さんは
おもむろに携帯電話を取り出して
何かを話していた

なんであんなにも、法衣を着るだけで
見慣れたはずの光景に違和感を感じるんだろう?

IT和尚とか居たら
それだけでなまぐさっぽいしな

今度はどっかにフルフェイスのメット被って
法衣をなびかせながらバイクに乗ってる
和尚とか居ねぇかな、ぜひ見てみたい



byFAP

スクーターに乗ってる和尚なら見たことあるぞ。

 


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