2004/3月ー4

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3月24日(水)

byKTA

今日友人SINがうちに来ています
秋田での中学時代からの友人ですが
大学が北海道だったので
今でもよく一緒にいるんですが

その彼が今年で大学を卒業して
社会人として明日、北海道を出て行きます

就職先は青森です、住んでた部屋の引き払いから
引越し先の荷物が届くまでの昨日から明日まで
家に泊まりに来てくれました

何も出来ないけど北海道に住む最後の時
せいぜい楽しんでいってくれればと思います

地図上で見ればそんなに遠いイメージが無いですが
意外と津軽海峡はでかいもんで
これからは、なかなか合う事も出来なくなるのかな
そう思うと少しさびしくもあり
一歩先をいかれて悔しくもあり

せいぜいがんばってくれればと思います
それで、また忘れた頃にでも
一緒に遊んで、ボーリング行って
馬鹿なことして、酒でも飲みたいな>な、SIN


行ってらっしゃい、がんばれよ

 


3月25日(木)

byKTA

さすがにヒビ入ってるだけあって
なかなか治らないモンですね
俺の予想では明日の仕事からいけるかな?
って感じだったんですが
ぎりぎりまにあわなそうなので
結局今週は休みと言う事で

一日一日治って行ってる実感があるので
そのうち治るでしょうけど

にしても場所が手首でなければ
どうにでもなったものを っち



NKSSとその対策 byFAP

「何も書く気しねー」症候群(以下NKSS)が発症した。

ちなみに俺は過去三度ほど発症している。
それだけに再発の可能性は
大いに有り得たと言えるだろう。

事を長続きさせるために必要なのは
常に気負うことではなく、程よい力配分だ。

故にこのNKSSは、サイト運営を持続するための
いわば自衛装置である。

と。
自己を正当化する最もらしい言い訳をしてみた。
「言い訳」と言っている時点で正当化は失敗だが、
そんな細かい事にこだわってはいけない。

さて、このNKSSだが実に深刻な問題である。

何しろサイトに関し何もやる気が起きないのだ。
「やる気のない状態が続き、そのまま閉鎖」
となる管理人も少なくない。
このモチベーションの問題は、
サイト運営者に常に付き纏う。

しかもNKSSには完治というものがない。
常に再発の危険性をはらむという
非常に厄介なものである。

幸いこのサイトはFAPとKTAという
二人の管理人による更新のため、
片方がNKSSでももう片方が更新していれば
さほど深刻な問題にはならない。
むしろ俺にとってはいい休養になる始末。
しかし、一人身のサイトには非常に深刻な問題だ。

NKSSに感染しないためには
「明確な目的を持つ」か、
「必要以上にサイト運営にのめり込まない」
ことが必要である。

サイト運営にのめり込めばのめり込むほど
NKSSで覚めた(飽きた)時の反動が強い。
それを防ぐために、深くのめり込まない程度に
のらりくらりと更新するか、
明確で確実な目的を持つ必要がある。

観覧者の中でサイト運営に興味のある人は
以上の点を踏まえて運営するといいかもしれない。

※尚、以上の意見は俺の思い込みによる所が
  非常に大きいので参考程度に留めておくとよい。
  あと、NKSSはここで俺がノリで作った造語なので、
  あまり深く考えたり他の場所で使ったりしないように。

 


3月26日(金)

メールと母 byFAP

雨降る曇り空の夕刻、
やけに薬品っぽい味のするデカビタCを飲んで
『クスリ漬けの生活…』とか思っていると母方に呼ばれた。

母方、なにやら葉書を持っている。
なんでも『この葉書に書かれているメールアドレスに
メールを送りたいのだが、どうやるのかわからない。
息子よどうか教えてくれまいか』とのこと。

ちなみに母方は一応メールは使える。
使えるが、それは姉の携帯に送る時だけに限られる。
アドレス帳の使い方がわからないというレベル。
正統派機械音痴。

『左クリックは基本的に”決定”。
 右クリックは対象ができることのメニュー表示。
 何かしたい時は、したい対象の上で右クリック。』
と教えているのだが、どうにも理解してくれない。
わずか3行にも未知の世界が存在するらしい。

とりあえず実際に件のアドレスを登録させて
手順を説明したが、これは断言できる。
母方は手順をもう忘れている、と。
今「じゃあ自分でやってみて」と言ったらば
「え、わかんない」とか言い出すだろう。間違いない。

そんなわけで、アドレス帳を使い
登録した件のアドレスに早速メールを打つ母。
キーボードを打つ一本指がたどたどしく、
見ていて実にもどかしい。

だが、母方がタッチタイピングをしている姿を想像すると
どこか不気味なので、これはこれでいいのだろう。

最中、
「年甲斐もなく『○○で〜す』と書くのはどうだろう」
と言ったら怒られた。
だってそんな年齢じゃないだろ、母上よ…。

 


byKTA

予期せぬ連休、気付いたら9連休に
ちょっとした春休み気分と思いきや
実は右手が使えないのでPCぐらいしか出来ない始末

それはそうと、「NKSS」?なんだそりゃ
書きたいときに書きたいことを書いて
書きたくないときには書かない
それでいいじゃない

っつか「最近は書かないとな」と思うより
「報告したいな」と言う事を書いてる気がする

それにしてもFAPの言うと通り、長い事やってるのは
二人で作っているからだろう
地味に俺はFAPの書き込みを楽しみにしているからな
あいつはどうか知らんけど

 


3月27日(土)

Eメールと手紙 byFAP

※一応前回の日記の続き
あらすじ。
メールで母が年甲斐もなく『○○で〜す』と書いていた。
あらすじ終わり。

そんなわけでEメール(以下メール)である。

母方のメールを見て再認識したのだが、
ネットを介し何らかのメッセージを送る時、
人は普段よりもテンションが高めになるようだ。
(初心者にその傾向がより強く見られる。)

その点について直接母方に聞いてみたところ、
「手紙とメールは違うでしょ」とあっさり言われた。

その意見については否定しない。俺も同意だからだ。
だが、どうして「手紙」と「メール」の文面は違うのだろうか。
今回はその点について考えていきたい。

双方は同じ「文字を媒体とした連絡手段」である。
違うのは「実体としてあるかないか」という点である。
その「実体としてあるかないか」というのは
非常に重要な問題だ。

届いたメールをただメーラーで読む場合と、
メールの内容をプリントアウトし
実際に便箋で送付された場合を想像して欲しい。

後者の方がより現実感があり、重みがあると思う。
(というより実際に質量がある。)
そこには便箋を送る手間と費用が存在しており、
それがより「重み」を感じさせる要因となる。

そしてその「重み」は受け取る側だけでなく、
送る側にも影響を与える。

早く届き、手間も費用もかからず気軽に送れる。
些細なことでも気軽に連絡し合える。
そのため「重み」が存在せず、存在する必要もないため
送るメールの文面は自然と軽い口調になる。
メールは手紙よりも電話に近い存在である。

メールは様々な点において手紙より便利だが、
だからと言って手紙が不要ということにはならない。
手紙には独特の「暖かさ」や「重み」が存在する。
故にメールは手紙の代わりにはなり得ないし、
手紙もメールの代わりにはなり得ない。

手紙とメールはまったく違う性質を持つものである。

 


byKTA

手紙とメール、意外と面白いところを突いてきたな
ちなみに、俺の勝手な意見だが
ワープロ文字で印刷した手紙をもらうよりは
メールの方が温かみがあるように思う

無論、手書きの手紙が一番心に来るのだが

いかにもコンピュータが打ちました的な
規則正しさが嫌なのか、印刷物が嫌なのか
あのなんともいえない冷たさが、俺はすごく苦手だ
もっと言えば、手書きの手紙のコピーも
俺は苦手だろうな

FAPはその点についてどう思う?


後記
無視かよ・・・

 


3月28日(日)

byKTA

結局、31日から仕事に行く事になりました
うーん無職

 


3月31日(水)

byKTA

最近妹が免許を取った
今日も、近くのレンタルビデオまで行くので
横に乗ってくれと頼まれた

別に横に乗って何をするわけでもないが
一人で死ぬのは嫌らしい

そういえば、今日から仕事行って来たんだけど
意外といけると思いきや、まず一つ
掃除機自由自在には動かせません

二つ目
雑巾絞れません

三つ目
壁とか手が垂直になる角度は力がはいらん


当分はおまけ程度の作業しかできんみたい
なんか、この骨折って
たぶん俺の今までの人生の中で
一番の不覚だな、いきなり

骨を折った事が無いっていうトークで
この若さで盛り上がれなくなったじゃないか
なんか、負け組みへと追いやられた気分

 


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